【大空を紅に染め、】
眼の前に広げてみる。六十五年以上経つというのに、その絹のマフラーはやや黄ばんではいても、字面も明瞭で、当時のままを残している。
大空を紅に染め我散らむ皇国(すめらみくに)の防人(さきもり)として
御国のため散れと教へし兄鷲の後を慕いて我は征くなり
辞世の句にあたるのだろう。歌としての善し悪しは措くとする。でも書かれた言葉も上滑りする感を否めず、時代を反映しているとは言え在り来たりに過ぎる。だからこそなのか、父の秘められた諦念めいたものを感じてしまう。私の勝手な解釈だろうか。
寄せ書きされた言葉を拾ってみる。
「頼むぞ特攻隊」 「米英何者ぞ」 「死して生きるぞ特攻隊」 「男子なら我も征きたい特攻隊」 「必沈 驀進 驕敵撃滅」 「体当り 陸軍特別攻撃隊・憂国の士」
言葉は、それによる表現が勝ちすぎると実相を隠してしまう。でも、それら表裏を含めて、人々はやはり必死で、愚直なほど一生懸命だったのだと思う。だからといって、今に生きる我々がそれを侮ることはできないし、過去の時代時代を生きてきた人々を、今の我々の持つ物差しでもって測り貶めることは、決してあってはならない。
時代を、あるいは歴史を検証するということは、「温故知新」の言葉があるように、現在そして未来社会を構築するうえでも勿論必要不可欠なものだと思う。そこには、多くの批判が湧き起こることもあるだろうが、それも当然だ。たとえば、戦争という行為でいうならば、それを正当化する理由をいくらあげてみても、人と人との殺し合いに尽きる。だからこそ、戦争のある社会は必ずや諸々の理不尽さを内包してしまうものなのだ。
それらを承知のうえで、今の私は、時を越えた人間としての普遍性を強く考えてしまう。
生前の父は、器用に立ち回り世渡りする人間が大嫌いであった。その姿勢は、残された手記をあらためて読んでみると、戦争という時代にあっても変わりなくあったように思われる。不器用ゆえに時に傷つき悩み苦しむ。私は、そんな父を愛おしくも、誇りにも思う。
一度は首に纏ったのだが、そのマフラーは本来の役割を果たすことなく、今は私の手元にある。軽いのだが、あまりにも重たい。その重さの核にあたるのは、昭和十五年八月二十六日の田子機誤爆事件なのだと思う。
