【晋南空地協力】

 山西省地上部隊の激戦地区、地名も思い出します。よく爆撃した地名もあって、空地協力当時が懐かしく思い出されました。地上部隊の一つの作戦が終了するまでには、将校以下相当の犠牲者のあったことを知り、今更ながら驚いた次第であります。地上部隊の戦闘には、飛行隊の協力が大きく一役を担っていたことも、よくうかがえます。敵の猛攻を受けて一歩も前進できぬ中隊の模様や、曲射砲の砲撃を受けて戦死者の続出する様子、又夜間に迂回して敵陣地に突入し単刀を振りかざして応戦するも戦死された准尉の方々、敵の機関銃座から不意打ちに合い戦死された中隊長、地上部隊の苦闘状況が髣髴として浮かび、誠に襟を糺すの思いを抱きます。

 歩兵部隊の数々の苦闘、激戦の模様等は戦史として記録され永久に残ることと思いますが、戦場で一度逝った方は、再び還ってはこないのであります。

 現在生き残っている私達は、多くの英霊に対しまして、その御冥福を祈ることが唯一の責務であると考えております。

 

 以上が、死を間近に迎えていた父が書き遺したものである。下書きであったのだろうか、便箋にかなり乱雑に書かれていた。そして、記憶をなぞるために用いたのと思うが、大判の中国大陸の地図も一緒にあった。地図を広げ、それとおぼしき地名を拾ってみる。

 

 内地に戻った父は、敗戦までの四年半をはたしてどのように過ごしたのだろうか。