【佛印進駐作戦】
日本軍の佛印進駐を認めたことにより、当日の任務は、「ハイフォン港より上陸した部隊がハノイに向かって鉄路沿いに前進を開始するので、この部隊を上空より警戒援護せよ。」でした。そして、敵の攻撃が無い場合には、絶対に爆弾は投下するなとの命令でありました。私は二機編隊で、僚機飯田軍曹を従えて、先ずハイフォン上空に至りました。ハイフォン港外には、約三十隻に及ぶ艦船が停泊しております。艦船より上陸した部隊は続々として、鉄路に沿ってハノイに向かい北進を行っています。敵の抵抗は全くありません。私は、鉄路に沿ってハノイ方向に飛行致しました。ハノイ市の南方に飛行場があります。その上空を旋回しますと、飛行場に約十機程の戦闘機が整列され並んでおりました。やがて一機が離陸しましたので、後方射手にも注意を促し万一に備えました。離陸した機に注意しておりましたが、我が機に接近することなく、何処かに飛び去って行きました。これで一安心とハノイ市上空に至り、旋回しながら地上を偵察しましたが、下からの射撃等は全く認められず、ハノイ市街もいたって平穏そのものでありました。そこで私は機を反転、又ハイフォン方向に飛行を行いました。上陸した地上部隊は、相変わらず北進を続けております。
全く戦線異状なし。相当時間も経過したので、ハイフォン上空より一路欽県飛行場に帰還致しました。早速、中隊長に申告。状況を説明しています時に、山口戦隊長がお見えになり、「おい、藤田。ハノイ市街の状況はどうであった。」と質問されました。私は、「ハノイ市上空を何回も旋回して偵察したのですが、下からの攻撃は全く認められません。いたって平穏でありました。」と答えました。すると戦隊長は、「これは国際問題になるぞ。」と小さい声で言われ、顔色を変えて急ぎ司令部の方に行かれたのを、今も忘れずに覚えております。
私の編隊の離陸した後、暫くして、第二中隊の某大尉の操縦する編隊機が出動して、ハノイ市街を爆撃したのです。それも、編隊長機だけが爆弾を投下したのです。僚機は出発前の命令を忠実に守り、しかも長機の爆撃合図があったにもかかわらず、爆弾を投下していないのです。下士官操縦者さえ、この様に適切な状況判断を行っているのに、いったいこの将校はなにごとぞ。他中隊のことながら、この将校に対して、私は憤慨を覚えました。そして、この将校こそ、先に田子機を爆砕せしめた張本人でもあったのです。
この不詳事件が万一国際問題になると困ったものだと、当時は私なりに心配したものです。それは、今日まで築き上げた山口戦隊の栄光も、この一件で「九仞の功一簣に欠く」ことにでも相成れば、これぞ大変なことだと思ったものです。
一回ならず二度まで不詳事件を惹起したこの大尉こそ、田子軍曹事件直後に内地に更迭させておけば、第二の不詳事件は避けられたと思います。この者こそ、戦地勤務者としては全く不適格者であるということが、ここでも立証されています。全く気が狂っているのではないか、正気の沙汰でないと思ったのも事実であります。
色々と考え、又反省もするし、その中から判断もするのですが、私は次の様な事件を経験し体得致しておりました。
『飛行第九十戦隊史』には、「…後続の隣中隊の編隊が帰って来た。新しく来た特別志願将校の搭乗者が、着任そうそうの緊張感から、ハノイ上空で対空射撃を受けたような錯覚を起こし、市内に爆弾を投下してしまったという。平和進駐の協定違反もはなはだしい。外交上の大問題になるおそれはもちろん、悪くすると現地軍は袋叩きにされかねない。とんでもないことになったと、上層部は青くなったようである。この将校は神経衰弱ということにして、すぐ後送されたが、この責任問題はどこまで尾を曳き、どのように解決されたか…」の山﨑中隊長の記述がある。
