【友軍機投下爆弾の直撃を受けて、
無念なり、南支の空に散華せし、和佐野曹長・田子軍曹】
南支転戦は二回目であり、天河飛行場も懐かしい場所の一つであります。作戦の合間をみてはバナナを幹ごと購入し、内務班に飾っては毎日少しずつ食した思い出もあります。
当日は、山口戦隊長の指揮する二個中隊の出動であります。第一爆撃目標は天候の都合上中止され、第二目標爆撃に変更されました。
先ず第一中隊中隊長編隊が急降下に突入されました。第二編隊の溝口機(二番機藤田)は、突入の時機を失したのか、中隊長編隊の後から突入できずに左旋回を行いました。従って溝口編隊は、第三編隊の桂機に後方から追従する形になりました。私は、編隊飛行中と雖も、絶えず前方や上空を警戒する習性を身につけておりますので、前方にもよく注意を払っておりました。桂編隊が急降下に突入した時、高度差三〇〇㍍の上空から桂編隊に対進する格好で第二中隊の某編隊が急降下に移り、爆弾を投下したではありませんか。爆弾の落下もよく見えました。「あっ、危ない」と、心で叫んだ瞬間です。閃光を発し、真っ赤な炎が眼に映りました。桂編隊の三番機であった田子機が爆砕したのであります。全く瞬間の出来事でした。溝口編隊も急降下に突入し、爆撃を終了致しました。空中集合してみますと、第一中隊九機中、第三編隊の三番機がやはり欠けているのです。私は、天河飛行場に到着するまで何回も後方を振り向きました。何とかして田子機が追随して還ってはくれないかと心に念じ、奇跡を願いました。一度爆砕した機が、どうして生還できましょうや。それを判っていながら、なお奇跡を念じたのも彼等に対する私の思慕の情からであったと思います。
和佐野曹長とは戦場生活も長く、共に平壌より出征した好き戦友でありました。田子軍曹は後輩でもあり、よく面倒をみてきた一人でもあったわけです。友軍機の誤爆による爆砕! 全く無念であり、又情けなく、私はものすごく憤りを覚えたものです。
各中隊整列しまして戦隊長に申告した際、戦隊長は次の様に訓示されました。「本日の攻撃で一機自爆したが、これに意気消沈することなく、我々は戦友の死を乗り越えて聖戦目的完遂に邁進しなくてはならない。」 解散後、私は田子軍曹と同期の古谷軍曹を物陰に呼んで、お互い抱き合って泣いたものです。
当日古谷軍曹は、桂編隊の二番機でありました。古谷軍曹の証言でも明確です。上空から爆弾が落下して機翼をかすめたと申しており、そして閃光とともに田子機は見えなくなったと申しておりました。私は、この真実を公にすることは部隊の士気にも影響すると思い、非常に憤慨している古谷軍曹に対しては、「必ず真実だけは、中隊長及び戦隊長に知って頂く様にするから、悲しいだろうが騒ぐな」と言って彼をなぐさめたのでした。




