【無念、津野中尉の戦死】
津野中尉は、一見豪放にして沈着、如何にも典型的な武人としての風格を備えた方であったと思います。戦場に臨んでは常に勇猛果敢、誠に責任感も旺盛で、私達の尊敬する存在でありました。そして、部下をよく愛され、部下も皆中尉をよく慕っていた様に思います。
その津野中尉は路安に転進、周林鎮附近の敵陣地を索敵中に不幸にも敵弾を受けて機は火災となり、その火炎に包まれながら火傷をものともせず、不時着地点まで飛行して着地されたのであります。この不時着により、同乗者の相馬少尉及び和田伍長は火傷だけで生命に別状なく助かったのでありますが、機を操縦しておりました津野中尉は火傷甚だしく、意識だけは確かであった模様ですが、当日の夕刻頃に遂に亡くなられたのであります。
不時着地点までの飛行は、単なる精神力ではなく、全く鬼神と化した業としか思えません。火炎に包まれ、苦しさのあまり何回も後ろを振り向いたそうです(相馬少尉の言による)。火災発生と同時に機から脱出すれば、或いは津野中尉自身は助かっていたかも知れません。然しそれは、部下二名を犠牲にすることになります。中尉は、自分が犠牲になっても部下二名を助けるべく不時着地点まで飛行したものと考えます。中尉の着用していました飛行服、飛行帽の焼けただれた現物を見ただけでも、その行為はとても人間業とは思えませんでした。如何に部下を思うかの心情が、中尉をして鬼神と化したものと思います。その姿勢には、唯々頭の下がる思いでありました。私は、中尉の戦死を決して無駄にすることなく、更に更に奮闘することを心に誓ったものであります。
後日、中尉の遺骨が路安飛行場に到着致しましたので、山本中尉と私が遺骨の空輸を命ぜられました。路安に赴き遺骨を受領致しまして、山口戦隊長以下大勢の出迎える大原飛行場に空輸致しました。この空輸も、中尉と何かの縁であった様な感情を当時抱いたものであります。
又、これは後で聞いた話ですが、私達が南支広東に転進期間中、留守を担当されていた当時人事係の○○准尉が隊員の預金を盗用した事件がありました。隊員に対しては損害金額全部を補填する必要があります。この事件処理にあたって中尉は、かつての同僚の犯した罪であり、自分にも責任があると仰ってて、被害額の半分を補填されたと聞き及びました。中尉の高邁なる人格の一端が、この出来事にもよく表れている様に思います。
敵情の偵察要請を受けて津野中尉は単機出動。低空で飛ぶ機は対空射弾を浴び、燃料タンクかパイプに被弾した。以下、「九十戦隊史」には次のように記されている。
「操縦者は煙と火焔に包まれて操縦の自由を奪われて自爆、というのが定石である。しかし、彼はこれを克服して、すぐ近くに布陣している周村鎮部落の前方畠地に不時着陸を強行した。丘陵起伏する不整地に、転覆もせずに着地することができたのは、よほどの技倆とそれにもまして沈着な処置といわざるをえない。これを見た笠原支隊の設楽中隊は、ただちに敵前に突進して、すぐに救援に駆けつけたが、津野中尉は全身火傷、間もなく絶命、後方座席の相馬少尉と和田伍長は顔面にわずかな火傷を受けた程度で救出された。」
某准尉の起こした不祥事は、内分の処置をという温情的な発言もあったらしいが、中隊長は一罰百戒、軍紀の維持には代えられないと、涙を振って馬謖(ばしょく)を斬るの思いで憲兵にまわして軍法会議に付したという。


