【田子軍曹機、地上部隊誤爆事件】

 

 当日は中隊長編隊の私は二番機であり、田子軍曹は三番機でありました。戦場到着と共に、長機の合図で編隊は単縦陣隊形となりました。私は索敵を始め、先ず友軍の状況を確かめておりました。その時、田子機は何を見誤ったのか急降下に突進したので、これはいかんと思い、私も急降下に移り、田子機を追随して翼を振ったのですが遂に間に合わず、田子機は五十㌔爆弾八発を連続投下してしまいました。運悪く最後の一弾が地上部隊の左翼に命中したのであります。地上部隊は五列横隊位で横隊隊形も長く、一時小休止していた様に思いました。上空からでもよく観察すれば、部隊ですので、すぐ判った筈です。田子軍曹の爆弾投下地点は、全く友軍の戦線内でありました。この誤爆で、あゝ困ったことに相成ったぞ、地上部隊の犠牲者に対しては誠に申し訳なく、又、中隊長に対しても非常に申し訳ないと心苦しく思ったものでした。

 特に地上部隊に直接協力する場合には、彼我状況をよく確認して、然る後に爆撃を行うことが鉄則であります。後輩に対して、私は常々次の様な指示を与えておりました。「戦場に於いて彼我不明であり判断のつかぬ場合には、編隊長機若しくは私の爆撃した目標に対して爆弾を投下するように」と。これを忠実に守ってくれれば、この誤爆も避け得られた筈です。なぜもっと徹底した教育を実施しなかったのかと、後輩指導の不十分だったことに大きな責任を感じたものであります。

 実際に歩兵部隊に直接協力する場合には、高度を下げて彼我の状況をよく確認することが重要であります。彼我百㍍位に接近して撃ち合っていることも屡々ありました。この様な場面での協力は友軍の散兵がどの線まで進出しているかを確認し、間違っても友軍に弾が落下しない様に万全の注意を払ったものです。

 

 こんな例も有りました。

 地上部隊から、「明朝八:〇〇を期して何々部落に突入するので、爆撃援護を頼む」との要請がありました。翌朝部落上空に行きますと、敵の抵抗が無かったのか、すでに地上部隊は部落に進入しておりました。私達はやむなく、逃走した敵を求めて更に前進し敵を攻撃したものです。ところが、私達の後から飛来してきた他部隊の一編隊は、水平飛行のまま同部落を爆撃して去って行きました。部落は朦々たるたる白煙に覆われておりました。地上部隊に相当の犠牲者が出たであろうと考えた時、胸の締め付けられる様な思いをしたものです。事変初期には、この様な誤爆が頻繁にあったと聞いております。

 山西省の山岳地帯では地形の関係もあって、地上部隊と打ち合わせた時間以前にすでに部落に突入していたり、或いは敵陣地を攻略して、更に前方に進出している場合も幾度と経験したことでした。

 この事件に関しては、中隊長に非常に迷惑をおかけした次第であり、又亡くなられた歩兵部隊の方に対しましても、なんとも申し訳ののないことで、全く痛恨の限りです。

 

 先の「戦隊史」には、これらの誤爆事件の記述はない。『事変初期には、この様な誤爆が頻繁にあった』というのには痛ましさを覚える。