【藤井准尉の殉職】 〈昭和十五年五月〉
誠に恐縮に存じますが、中隊長の記録では○○(判読不能)飛行場となっておりますが、○○ではなく運城飛行場に於いての出来事であります。
当日は月明であり、運城の夜空も美しかった記憶があります。中隊長編隊、二番機藤井准尉、三番機は藤田でありました。編隊離陸後、短時間の編隊飛行を終わりまして、単機毎の無灯火着陸であります。先ず一番目に中隊長機が着陸致しました。続いて二番機の藤井准尉も着陸致しました。次は私の着陸番であります。 着陸降下中、急に照明灯が点灯されましたので、着陸履行を致し飛行場を見ますと、今度は照明灯が点滅されています。着陸待ちの記号と判断しまして、翼を振りました。同時に照明灯は点灯されて、飛行場一面を明るく照らしております。
地上の慌ただしい様子に、「なにか…事故があったな…」と直感致しました。やがて私も着陸を終わり準備線に着くと、整備兵の方が「藤井准尉機が飛行場の端で転覆しました」と告げるので、急いで該機のもとに駆けつけました。
藤井准尉は、転覆した機の天蓋に下敷きとなっておりました。集まった方々全員力を合わせて機翼を持ち上げ、やっと藤井准尉を機外に引き出しました。直ちに運城の兵站病院に入院されたのですが、意識不明のままだった様です。翌日、私達は病院に行き、准尉の足首をもんで看護を尽くしましたが、病院の応急処置や手当も効果なく、同日の夕刻に中隊長や将校、下士官等の見守る中で遂に息を引き取られた次第であります。
藤井准尉は、非常に温厚誠実な方であります。よく部下の面倒を見られました。部下に対する温情と適切なる御指導に対しては、私達は常に敬意を表しておりました。部下の信望も人一倍厚かった様に思います。事変当初より生死苦楽を共にしてまいりました兄貴分の准尉を失ったことは、誠に悲しい限りでもあります。幽明界を異にして、私達は生前の准尉の人格とその遺徳を偲び、ご冥福をお祈り致したものです。
先の五原救出作戦の失敗が、無灯火離着陸ができなかったことにもその因があるとのことで、運城飛行場で夜間飛行訓練が行われた際の事故であった。降下速度の微調整の誤りから生じたという。

