【五原特務機関救出作戦】 昭和十五年三月
包頭飛行場も、私としては何回も転進した場所であります。包頭北方約百四十キロの地点にあります。
百霊廟(内蒙古)に飛行したことがありました。
いよいよ目的地に到着です。上空から眺めますと、赤、黄とりどりの服装をした一群が見えます。蒙古人の娘さん達が、私達の歓迎のために集まったのだと喜んだものでした。さて着陸ですが、何処が飛行場であるのかさっぱり判りません。草もあまり生えてはいない草原地帯であります。一本の吹き流しが、ポツンと立っているのが見えました。全機がその付近に着陸です。かつて話に聞いていたノモンハンもこの様な大平原地帯であるのだろう、とその時に想像しました。やがて特務機関の方が現れ、機を百霊廟の近くに誘導されました。地上に降りてみますと、なんと驚きました。赤や黄色の服装をしている者はラマ僧でありまして、皆男性でした。娘さんの姿など一人も見あたりませんでした。
当日は特務機関員のお世話で、ここに一泊させて頂くことになりました。特務機関長は陸軍の中尉さんで、部員は四名位であったと思います。飛行機の警戒にあたって頂いた方々は、何れも蒙古人の下士官でありました。特務機関の教育宜しきを得てか、日本語を上手に話せます。彼等は裸馬にまたがり、駈け足で飛行機の周囲を厳重に警戒してくれました。この付近の住民は、ラマ僧を除きほとんどが遊牧民であります。あちこちと、羊の大群が見えます。
私達は、遊牧民の住居であるポウ(包)の見学に出かけました。羊毛で分厚くできているポウ内部は、案外暖かい様に思いました。炊飯用の燃料は、牛糞の乾燥したものを使用しておりました。なにか羊の乳製品であると思われるチーズの様なものを出してくれたのですが、一寸気味悪く辞退致しました。
夕刻も迫りましたので、廟の宿舎に引き上げました。夕食をすませ就寝についたのですが、夜間は急に冷え込んで、ぶるぶると震えながら夜の明けるのを待ったものです。時期は八月でありましたが、昼間と夜間も気温の差がこんなにも変化するのです。将来を考えると、百霊廟見学は、いろいろと有意義な体験になったものでした。

