南支方面では○関(判読不能)市と賓陽で射たれました。柳州爆撃の時には、初めて高射砲に見舞われたものです。飛行前方や左右に、砲弾が炸裂していました。高射砲弾の炸裂した瞬間は、丁度花火を打ち上げた時のように丸い煙の輪ができます。その煙の丸い輪により、「あゝ高度差もある」と判断、「まあ、大丈夫だ」と安心したものです。然し、何発目かの砲弾炸裂は、飛行方向の軸線に合ってきたので、急に蛇行飛行に移り高射砲弾を避けた記憶もあります。

 ある日など、第二中隊の某曹長の操縦する一機は、砲弾が尾部付近で炸裂したため、かなりの損傷を受けて帰還しました。着陸した機を見て驚きました。水平安定板は半分位損傷を受けており、昇降舵及び方向舵も半分程千切れていました。「よくもこのような状態で生還できたものだ」と感心したものです。

 物凄い対空砲火の中を飛行する時、「今日は誰かの飛行機に命中するのではないか…」「今日は…」と何回となく思ったこともありました。

 猛烈な集中砲火を受けた場所で、最も強く私の印象に残っていますのは、やはり○州(判読不能)市、鄭州市、帰徳飛行場、西安、南支の賓陽であります。閃光を発して無数に飛来する曳光弾の火網は、怖くないといえば嘘になりますが、本当に気味の悪いものでした。晴天の日より曇天の場合が、閃光も鮮明に見えるので、心理的には尚嫌だった様に思います。

 然しながら、何と申しましても一番心強く、そして士気を旺盛にするものは、中隊長機自らが陣頭指揮を執られた事にあります。それが即ち、対空砲火等を全く意中にすることなく、敢然として飛行できたことに繋がったものと確信を持って言えます。