(上下、九七式双軽爆撃機)
【飛行第六連隊と飛行第九大隊、飛行第九十戦隊】
父、保は昭和十一年十二月に、軽爆飛行隊である平壌の飛行第六連隊に赴く。翌十二年七月の日中戦争(蘆溝橋事件、支那事変)勃発で、飛行第六連隊は九二軽爆二個中隊からなる飛行第九大隊に動員編成され、北支方面平定作戦に出動したという。そして、昭和十三年八月一日に、北支太原飛行場において、その飛行第九大隊が編成改変され生まれたのが飛行第九十戦隊である。昭和十六年には第三中隊が創設された。と書いてみても、私自身も実態の把握には疎いものがある。少しでも理解を得るために、昭和五十六年に発行された前出の「飛行第九十戦隊史」の『まえがき』から若干抜き書きさせていただく。
「最初は九三双軽・九三単軽を装備し、後九七軽を使用、大東亜戦争の直前九九双軽に改変し、終戦まで九九双軽を使用した。」
「戦隊の行動範囲は満州承徳を振り出しに、北支は河北・山西・三東・察吟爾、中南支全域、四川、雲南と全支に及び、仏印進駐から大東亜戦争初動のアレー・スマトラ・ジャワと南半球におよぶ広大な戦域に戦った。」
「軽爆隊の任務は、(1)地上部隊の戦闘直接支援、たとえば敵の部隊・砲兵陣地・トーチカ・側防火器陣地・戦車・車両・船艇等の撲滅、時として敵情偵察、糧食・弾薬等の空中補給にあたる。(2)後方主要軍事施設の破壊、目標は兵舎・司令部等の指揮中枢・通信・鉄道・港湾施設・橋梁・軍需品集積所、武器等の生産工場・艦船等である。(3)航空撃滅戦(対航空作戦)航空機・航空施設(格納庫・修理施設・滑走路・誘導路・掩体・燃料弾薬庫・航空通信施設)対空火器陣地の破壊、その他船団護衛等である。(2)(3)の任務には重爆隊と同様編隊水平爆撃を実施することができるが、重爆隊との大きな相違点は、軽快なる機動性をもって随時随所に急降下爆撃を加えることと、地上部隊の戦闘に密接に協力支援するところにある。軽爆隊は襲撃機部隊や直協機部隊、それに重爆隊の任務も引き受けて戦場の広範囲な地域において多様な任務をもって活躍した。」
「昭和十二年七月出動以来終戦までの間、直接戦闘行動中に自爆もしくは未帰還となった航空機は三十九機におよび、戦病死・殉職を含む戦隊の戦没者は二百六十四柱にのぼった。」
昭和十六年一月まで、父は上記のような任務にあったといえる。そして、敗戦から三十五年余の歳月を経て、当時を振り返ることができた。
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(上下、九九式双軽爆撃機)




