行軍と自動車行軍(卒業写真貼より)
入校して一年間は、初級下士官として必要な普通学、軍事学、軍事教練(三八歩兵銃による実弾射撃訓練や陣地構築等)、校外訓練(戦闘訓練)などが主であった。一年前に入校した先輩一期生は操縦課程に入っており、毎日飛行訓練が実施されているのが羨ましく感じられた
ものである。
当時の組織は、操縦生徒百名が二つの中隊に分かれ、私の所属は第一中隊第一区隊であり、区隊長は田尻中尉であった。この方は豪放磊落な酒豪であり、典型的な武人であり、堅固な右翼思想の持ち主でもあった。丁度軍部内において、意見の対立から軍務局長永田鉄山中将(当時は少将)が相沢三郎中佐に刺殺される事件が起きた。たまたまその頃、学科の講義中に、突然区隊長が私に対し「相沢中佐が永田軍務局長を刺殺したが、これは良いことか、悪いことか。」と質問された。その時私は、答える言葉に躊躇を覚えた。区隊長の思想からして、「殺すことは当然であり、大義を護らんがための一手段であるので、決して悪いとは思いません。」と答えるつもりだった。然るに私は、当たり障りのないようにと思って、「理由があってやったことと思います。殺すという事は間違っていると思います。」と答えた。すると、「馬鹿たれ。なんで悪いものか。」としばかれた。恐らく、前者のように答えたならば、大きな声で「宜しい、その通りだ。」と褒めてくれた事だろう。
『大義に生きる事』。純真無垢な少年達が、日夜、大義に生きる事を最大の願望としてたたき込まれ、精神的に脳裏奥深く刻み込まれ、卒業する頃には、一身を君国に捧げ悠久の大義に生きる事が名誉であり、又それが本分であることを強い信念として抱くようになった。又区隊長曰く、「我々軍人は、特に金銭には淡泊であり、守銭奴になるな。我々の俸給は一般に比し高く頂いているが、これは武人として恥ずかしくない生活態度を卒するためのものである。それが故に金を残すなんてけちな考えを抱くな」。
一年の終わり頃に航空機の整備にはいった。
軍装検査と九十九里浜地曳網(卒業写真貼より)


