岩倉駅 E10
〈岩倉駅〉
ずっとうっちゃっていたことがある。維新の十傑の一人である公家の岩倉具視は、はたして一時期岩倉に隠棲したから岩倉姓を名乗ったのか、それとも岩倉具視が住んでいたからこの地が岩倉となったのか、である。結局、結論はそのどちらでもなく、養子縁組をして岩倉姓となった岩倉具視その人が愛宕郡岩倉村に隠棲したのである。偶然にしては面白い。ちなみに、加山雄三さんは岩倉具視の玄孫(やしゃご)にあたるらしい。
八幡前駅周辺と同じように、岩倉駅も南には同志社の小学校、高等学校、グランドが国際会館とともに広大な敷地を占めているため、とりわけ北方面にと住宅地が広がっている。比叡山のロープウェイ乗り場から鳥瞰してみても、住宅地が山の際まで迫っているのがよく判る。
〈ロープウェイから岩倉盆地を望む〉
そのなかにあって、昔からの集落は小さな岩倉川の両岸に広がっているように思う。岩倉駅から、少し北に歩きバス通りに出る。その十字路を左に折れ、しばらく歩くと岩倉川にぶつかる。川の右岸の道筋には土塀や石垣に囲まれた旧家が多くみられる。それらには時が醸し出した貫禄さえ感じる。ただ、昔見た水車小屋は時が無くしてしまったのか、もう見つけることはできなかった。
〈岩倉川〉
左手に山が迫ってきたところに山住神社がある。岩倉の地名の由来がわかる場所である。その神社は元の石座(いわくら)神社であり、大きな石をご神体として祀っていて社殿などはない。その石座が石蔵あるいは岩蔵、石倉、やがて鎌倉時代以降は岩倉と表記されるようになったともいう。山住神社は、平安時代半ばにもう少し上流の今の地に遷座された石座神社の御旅所になっている。
〈山住神社(旧石座神社)〉
迫っていた山が少し後退して広くなった一帯が、岩倉上蔵町である。最初は上蔵の読み方が分からなかった。「あぐら」と読む。蔵の字がついている。旧石座神社の北方に位置するからだろうか。もしかすると、平安遷都の折に埋められたという一切経の岩蔵があったからだろうか。詮(せん)無いことでも、想像するのは楽しい。
〈岩倉具視幽棲旧居〉
その上蔵に、先の岩倉具視の隠棲した家(「岩倉具視幽棲旧居」とある)や、岩倉実相院、石座神社、大雲寺などの寺社が集まっている。聖護院も元々はこの地にあって、長谷一帯を幕末に至るまで所領していたらしい。病院などの医療施設もよく眼にする。そこにも歴史的な経緯がうかがえる。大雲寺に「脳病平癒のご利益」があり、近世以来そのご利益を求めて多くの参拝者があったという。患者さんの世話をする茶屋も多くあり、そんな伝統が近代に入ってからの病院の設置に繋がっているといえるだろう。
〈岩倉実相院〉
岩倉川を上流に進むと池に出合う。そこから先には鷲見坂を経て静市に出ることができる。村松の北端からの山道をたどれば、名前のない峠越しに静原の里に下りることができる。歩きやすく、気持ちよい山道である。ただ、かつてその道を訓練だと言ってザックに石を詰め込められて歩かされた子どもたちがどんな印象を抱いたか、それは知らない。
〈石座神社〉






