三宅八幡駅 E07
〈三宅八幡駅〉
「三宅八幡宮」へ行こうとすれば、叡電では二つの駅が利用できる。三宅八幡駅と、もうひとつが鞍馬線の八幡前駅だ。八幡さんの正面にあたるのが三宅八幡駅なのだが、本殿までの参道が結構長くて幾つかの鳥居をくぐらなければならない。八幡前駅は八幡さんの西側に位置しており、そこからだと本殿までの距離が短い。
〈三宅八幡宮鳥居〉
三宅八幡の創建は、聖徳太子の命により遣隋使として中国に渡った小野妹子が、宇佐八幡宮を勧請して造ったといわれているから随分と古い。そもそも、この地(上高野)一帯は小野氏により開拓され、小野郷とも呼ばれたらしい。妹子の息子である小野毛人(えみし)の墓と墓誌が、江戸時代に近くの山中から見つかっていることからも結びつきの強さを量ることができる。八幡宮では一般に鳩が神の使いとされてきたが、三宅八幡でも狛犬ならぬ“狛鳩” が鳥居の両脇で参詣者を出迎えてくれ、参道脇の茶店では鳩餅が名物となっている。
〈狛鳩?〉
久しぶりに八幡さんを訪ねてみた。昔は『疳(かん)の虫封じ』とか書かれてある幟(のぼり)がよく目についたものだった。子どもの守り神の神社でもあったのだ。もちろん現代医学において『虫』の存在は否定されようとも、子どもの健やかな成長を願う親の願いは古今東西不変だ。その願いを受け止める場があることが大切なのだと思う。
〈正面に本殿〉
「絵馬展示資料館」というものができていた。過去(幕末~明治末期)に奉納された絵馬の124点が国の重要有形民俗文化財に指定され、それらが展示されていた。他の神社で見る絵馬と違って面白いのは、大勢の子どもたちが大人に連れられ八幡さんに参詣する「行列絵馬」が多いことだ。時代により、衣装・格好の違いが判る。丁寧に個々の名前が墨書されている。行列でなく少数の場合もあり、それは親が子どもを連れて詣でる参詣図だ。顔の表情は小さくて窺がえなくても、皆が皆、晴れやかで嬉々としている様子が感じられる。一瞬、行列の中に僕も入り込んだような気がした。
〈崇道神社〉
八幡さんを離れ、国道沿いを八瀬方向へ数分歩くと「崇道(すどう)神社」への入り口がある。平安京前の長岡京造営の中心人物であった藤原種継暗殺事件に連座し、その後非業の死を遂げた桓武天皇の弟でもあった早良(さわら)親王。その死後、都では関係者の不審死、疫病の流行や洪水などが相次いでおこり、それらは早良親王の祟(たた)りであるとされた。よって、歴代の天皇には数えられないが、崇道天皇と追称されるも、なお怨霊への恐れから早良親王を祀る神社があちらこちらに建てられたらしい。平安京のちょうど鬼門の方位にあたるこの地に造られたのが崇道神社だ。京都市内には上と下の御霊(ごりょう)神社や藤森神社なども早良親王を祀っているが、単独で祀ってあるのは崇道神社だけである。だからなのか、最近は京都では最大級の心霊スポットとして注目を浴びている。それが自身の謙虚さにつながるならば、恐れを抱くことにも意味があるのだろう。心霊スポットというのは、自身を映し出す鏡が置いてある場所と僕は思うのだ。
千年以上の歳月を経ても、なおひっそりと神社は在る。
崇道神社の境内に、先に触れた小野毛人の墓への登り口を示す道標があった。
〈小野毛人墓 登り口〉
三宅八幡駅に戻ってみる。この辺り一帯は上高野と呼ばれる地域で、今でこそ住宅地が増えているが、比叡山の姿もなぜか柔らかなものになり、その緩やかな裾野には田畑が広がっていた。瀬戸内寂聴さんも(瀬戸内晴美さんの時かも)一時この地に住まいしていたことがあるそうな。
〈上高野からの比叡山〉
昔からの上高野の集落は、駅から東方向へと続いている。集落を抜ける道は、アスファルト舗装はされていても古道であることがよくわかる。歩くと、自分の息遣いに先人たちの息遣いが重なる気がするからだ。やがてそこから先は車が通れない山道にたどり着く。「御蔭神社」の道標がある。車では八瀬の方からしか入れない。
〈御蔭神社道標〉
下鴨神社の境外摂社である御蔭神社の存在を知った時に、すぐに下鴨神社から端を発し東に延びる「御蔭通」との関連を思った。御蔭通りは、幕末の「御蔭(おかげ)参り」と何か関係があるのだろうかぐらいにしかそれまでは思っていなかったからだ。
京都の三大祭りのひとつ葵祭。葵の花を飾った平安時代の装束の行列が有名で、例年は5月15日に実施され多くの観光客を集める。それに先立つ12日に、下鴨神社の祭神である荒神霊(あらみたま)を迎える神事が御蔭神社で行われる。そして新馬に神霊を移し、その神馬とともに神職や多くの人々が下鴨神社までを巡行したらしい。それらを指して御蔭祭りと呼ぶのだが、日本最古の祭りの形式を伝えているという。現在は交通事情から巡行は行われておらず、トラック・マイクロバスでの移動になっていると聞く。ではそれまでの巡行路はどうだったのだろう。当然浮かぶのが御蔭通りである。もともとは北白川仕伏町まで延びる長い通りではなかったように思う。
〈森の中の鳥居〉
〈御蔭神社〉
以下は推測なのだが、比叡山麓の森閑とした森の中に簡素ながら厳かに建つ御蔭神社を発った行列は、前述した古道を西に進み花園橋あたりで南に下がる山端(やまばな)街道に入る。平八茶屋の前を通り、やがて街道筋にある御蔭神社と同じく下鴨神社の境外摂社の赤ノ宮神社(一乗寺駅から徒歩8分)に立ち寄り、さらに南に下がる。そしてぶつかった御蔭通り(ちょうどすぐ近くに叡電の踏切があるところかな)を右折し西に進むと御蔭橋。そこからは下鴨神社の糺の森は目と鼻の距離となる。
三宅八幡宮で見た「行列絵馬」の行列も、大概はこの道を通ったのではないだろうか。もし、道自体に記憶があるならばいろんな話を聞いてみたい。でも、実際は想像することしかできないし、それはそれで楽しいとしよう。いつかの機会にか、いろんな“道”を調べることができたら面白いだろうなと思ったとたん、司馬遼太郎の著に『街道をゆく』があったことを思い出した。先ずはじっくりと読んでみたい気持ちになった。
※めったに人とは出会わない平日の御蔭神社で、三人グループの観光客と出会った。おひとりから優しさあふれるお地蔵さんが描かれたカードをいただいた。そのカードには次のような添え書きがあった。
『あなたのそのやさしさが、あなたのその言葉が、あなたのその笑顔が だれかにあたたかな癒しを与え、だれかの希望につながるんだよ』
そして、いただいたもう一枚のカードには地球を抱く少女が描かれていて、『心空(ここぞら)のりぃ』の名が記されていた。一期一会を思う。









