北野白梅町

 嵐電のもうひとつの玄関口である北野白梅町駅に到着し、嵐電をめぐっての閑話、閑歩も、いよいよ最終となった。

 

 

北野白梅町…北野とは、元来大内裏の北側の原野のことであり、古くから神聖な場所と考えられており、現在の北野天満宮の辺りを指す。白梅町も地名であるが、豊臣秀吉が千利休らを集め、壮大な梅林で大茶会を開いた。それが、地名や町名として伝わったと言われている。

 

北野天満宮 と 平野神社 

 

  先の紹介文を読んでも、この地に凝縮された時間と、空間の密度の濃さを感じてしまう。それに何とはなしの華やかさも。

 平安の昔、太宰府に流され、彼(か)の地で非業の死を遂げた菅原道真。その怨霊を鎮めるために造営されたのが北野天満宮であり、天神となった道真がまつられている。同時にその博識さから学問の神様の異名も。流される前に詠んだとされるのが『東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ』で、白梅町の地名の由来に関係はなくても、この地に相応(ふさ)しい歌だなと思ってしまう。

 そして時代は経ての秀吉の北野大茶会。いかにも派手好きの秀吉の企画は、一日で中止になったとはいえ、その華やかさは、「北野をどり」でも有名な、京都五花街のひとつである「上七軒」にその後もつながっていくように思う。

 

 

 毎月二十五日は「天神さん」の日。二十一日の東寺の「弘法さん」と並んで昔から市が立つ。時間が許せば、是非とも訪れあれ。そして、しばしの古(いにしえ)との会話。きっと心が洗われるのでは。 

 

(嵐電 終わりに添えて)

 

 数年前までお世話になった蜂ケ岡中学校で、眼に触れた四十年前の生徒会誌。その一冊に、当時の学校長が次のような文章を載せておられた。一部を抜き出して紹介したい。

 

 『しのぶ太子の宮の跡…たくみのかおり身にしめてと校歌は続く。聖徳太子に代表されてはいるが、この付近は古く長い人々のなりわいの続いたことを、一つの石、一つの木にも思い出すことのできる土地柄である。その古さは千年をはるかに越え、そのいとなみのあとは、校下をくまなくおおいつくしている。名もなく果てた人のよろこびや悲しみ、そして願いや苦しみの生きざまをさぐるてだてはいたるところに残されている。

 歴史は単に過去を知るだけの懐古趣味のものではない。わずかに何気なく残されたものをてがかりに、私達はその生きざまから多くのことを学びとりたい。幾層にも重なる生活のあとに向って生きて行くことの根源を問いかけてみたい。蜂ケ岡ではそれが可能なはずである。』

 

 とても共感を覚える文章だ。そして、あえて飛躍していうならば、過去は現在にほかならないといえるのではないだろうか。