等持院

 

    

 等持院…等持院は足利尊氏が衣笠山上にあった仁和寺の一院をこの地に移し、夢窓国師を開山とした等持寺の別院としたものである。足利尊氏の墓所となっている。等持寺の由来は、一寺を建てて三寺に当てるべく、寺の字を三つよせて「等持寺」と名付けたという。

 

 

 等持院というと、作家の故・水上勉が思い浮かぶ。若いいっ時、作品をよく読んだし、何かの集会の折に、ゲストとして呼ばれた氏の講演を聞いたこともあった。かれこれ三十年以上も前のことである。講演の内容は、氏の生い立ちに関わる話であったように思う。一九一九年、若狭の寒村に生まれた氏の幼少期は差別と貧困の中に在った。やがて九歳の時に、京都は相国寺塔頭(たっちゅう)の瑞春院に小僧として預けられるが、あまりの厳しさのために脱走する。連れ戻された後、少年・青年期の八年間を過ごしたのが等持院だ。作家として大成するのはずっと先で、一九六一年に「雁の寺」で直木賞を受賞している。その作品のベースにあるのは、氏の生い立ちであり、瑞春院や等持院での生活であったと思う。弱者に対しての、或いは疎外された者への共感が、「五番町夕霧楼」「越前竹人形」「飢餓海峡」「金閣炎上」などの作品に一貫して底流する。だから、実際に起こった金閣寺の放火事件(一九五〇年)を題材にした三島由紀夫の「金閣寺」と水上勉の「五番町夕霧楼」「金閣炎上」を比べると、放火に至るまでの主人公の描き方においても、主題設定も、とっても対照的なものになっている。それは、両作家の『生』に対して向き合う姿勢の違いなんだろう。「飢餓海峡」は三國連太郎主演の映画にもなっていて、僕の中での名作のひとつになっている。もちろん白黒、カラーはそぐわない。

 

                  (鹿苑寺金閣入口右側に望む左大文字。標高は200メートルと低い。)

 

 等持院の境内には、「日本映画の父」と称された牧野省三の銅像があり、この地で日本最初の撮影所が設けられたと書いてあった。