嵐山

 

 

嵐山…嵐山は日本有数の観光地であるが、渡月橋を渡ったところにそびえる峰をさし、愛宕山から吹き下ろす通称愛宕おろしに、峰々の桜や楓が散らされるところから、嵐山と呼ばれるようになった。

 

 ※渡月橋~亀山上皇が橋の上空を移動して行く月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と言ったことから名付けられた。

 ※天龍寺~足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、亀山離宮を禅寺に改めたのが始まり。尊氏は造寺の費用を補うために中国の元と貿易をしており、だから、その船は「天龍寺船」と称された。

 

 その渡月橋の川上が保津川下りの終点になるのだが、そのあたりには貸しボートも置かれている。

 随分と昔のことになるが、大阪の中学校を卒業(ちなみに、僕は保育園、小学校、中学校、高校といずれも入学、卒業したところが違う。それが今の僕のややこしい性格をつくった一因になっているのかも)した後の春休みに同級生何人かと嵐山を訪れ、そのボートに分乗した。友人の乗る一艘が、折からの強風で橋近くの杭まで流され停まり、あわや沈没しそうになった。と、保津川下りの一隻がスーっと近づいているではないか。無事救出。船頭さん、格好良かったなあ。

 その時は岩田山の猿も見たと思うのだけど、猿たちは今もいるのだろうか。

 

 勤務地からの帰路、少し遠回りして三条通りから嵐山を抜け、広沢の池を巡っての道筋をたどるときがよくあった。京都屈指の観光地である嵐山。年間を通して賑わい、人波が途絶えることはない。そこを拠点にしての、嵯峨野散策も多くの人の人気を博している。ただ、昼間の賑わいに対して静寂が支配する夜半には落差がある。その地で魑魅魍魎の気配を夜に感じるのは僕だけだろうか。いや、それ以前にわざわざそんな時間に人は行かないか。そう僕が感じる背景には、近くの化野(あだしの)念仏寺の石仏や羅漢の像、空海や空也、法然たちのこの地での所業が脳裏によぎるからだろうか。化野念仏寺では、賽の河原に祀られた数千体の無縁仏にロウソクを灯して供養する千灯供養が、例年八月二十三、二十四日に行われるが、コロナ禍の今年は中止となっている。

 

 

(寄り道)

 広沢の池大覚寺に近いのだけれど、観光客の足が及びにくいみたいだ。秋の収穫前の時期には、道路に接する田圃縁に、コンテストでもしているかのように案山子(かかし)が立ち並んでいる。そして、池の西から突き出た観音島辺り(写真)では、子どもや親子連れがザリガニ釣りをしている姿が。エサは定番のスルメだろうか。この光景を大切にしたい。

 光景といえば、季節を違えたとある日、その観音島の石ベンチで、常盤駅近くの店で買ってきたばかりのたい焼きをほうばろうとした時だ。忽然とその手からたい焼きが消えた。トンビの仕業だった。天晴れ、見事なり。そう思えたのは、かすめ取られたのがカスタードクリームが入ったたい焼きで、僕の好きなあんこの方は、まだ袋に残していたからだ。