車折神社
車折神社駅…地元の人以外は「くるまざき」とはまず読めないだろう。かつては車折駅であったらしいが、車折というのは地名ではないので、改変されたという。
車折神社…亀山法王(1249~1305)が大堰(おおい)川へ出かけられた時、行列が当社へ差し掛かったところ、法王の乗った牛車(ぎっしゃ)の車軸が折れた。法王はこの出来事に由来して、車折大明明神の神号を贈られ、その後の行程の無事を祈ったことが車折神社の始まりとある。他説では、後嵯峨天皇が「車折大明神」の神号を贈ったともある。境内の社の一社に、「あめのうずめのみこと」が祭神の芸能神社がある。
①の写真は北門だが、正面に嵐電の駅がある。そこから神社の境内を抜けるのが嵯峨美大生の通学路になっているらしい。「たまには、拝殿に立ち寄ってほしい」とは、宮司さんの弁。
三条通に面したほうは、鳥居の朱も色鮮やに、ややすれば通り通り過ぎてしまう斎宮神社とは違い。その存在を誇示するかのように大きく門を開いている。(写真②)
写真③は、芸能神社。「あめのうずめのみこと」とは、記紀の神話の「岩戸隠れ」に出てくる芸能の女神であり、最古の踊り子と言われている。でも芸能神社の成り立ちはそんなに古いものじゃないような感じがするが、どうだろう。
少し寄り道をして、「千代の古道」のことを。その石碑を初めて見たのは、仕事がらみで嵯峨野 あたりをうろついていた時。読み方すら知らなかったが、興味を覚えて調べてみた。「ちよのふるみち」と呼ぶらしい。それだけで、なにやらロマンをかき立てる。でも、道筋の定説は明確ではなく、双ヶ岡ー常盤ー鳴滝ー広沢池であったり、梅宮大社ー広沢池ー嵯峨大覚寺であったり、はては歌の上だけの道だとする説もある。もちろん色々な説があってもいい。それこそ、この地の歴史の奥深さの証のひとつと言えるのではないだろうか。
「嵯峨の山 千代の古道あととめて また露わくる 望月の駒」 (藤原定家 新古今集)



