西院(さい)と四条大宮
西院…御所から見て西の方角の淳和天皇(830年頃)の離宮を「西院」と呼んだことが付近の地名の由来。またそれが佐比(現:佐井)大路に当たることから「さい」とも呼ばれるようになった。また、平安初期にはこの辺りは風葬の地と定められ、川が流れており広い河原を「賽(=西院)の河原」と呼び信仰を集めたらしい。阪急電車は西院(さいいん)駅
「いわれ」とか、「由来」とかは実に面白いなと思う。ひとつではないし、しかもそれぞれに説得力がある。なかには、こじつけとしか思えないものもあるが、それがまた楽しい。「西院」の読みには、もうひとつあるらしい。地元では「さいん」とも言うのだそうだ。そのことを、NHK・BSの「京都 洛西 嵐電慕情」という番組で知った。(再々度の放送があるかも)
さて、その番組でも紹介された西院駅交差点に以前からある風景… 鏡文字の看板。電車の音が始終するなかでのギター教室? 慣れると、全く気にならなくなるらしい。
踏切音や電車が行き交う音をバックにしたギター演奏が素敵でした。
風葬地というと、古来、京都には鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)、 蓮台野(や)がある。蓮台野は北区の船岡山周辺で、そこに至る道筋に千本の卒塔婆(そとば)が立てられたことから千本通の名が生まれたとか、その北方の紫野の紫は血の色とも、少々おどろおどろしい話になるが、どこで聞いた話だったのか。
愛宕山の麗には化野念仏寺があり、数多の野ざらしの遺体を、弘法大師空海が集め供養したといわれている。何度か僕も足を運び、千体?の無縁仏と相対した。毎年八月末には、それらにろうそくが灯される千灯供養がおこなわれる。学生時代、友人が彼女を連れて行ったことを思い出す。癪に障ったわけでもないだろうが、僕は見にいったことはない。人混みのなかを行くのがどうも億劫だ。でも、今年あたりは一度と思ったのだが、コロナ禍で千灯供養の行事は中止らしい。
嵐電の玄関口、四条大宮駅に着きました。
四条大宮…「大宮」とは皇居のことを指すものであり、大宮通りは皇居の通りの意味である。平安時代は、大宮大路と呼ばれ、四条大路とともに交通の要地として栄え、都大路の中でも、最も往来の激しい主要幹線道路であった。
※壬生寺といえば
…新撰組の屯所でしょう
駅を少し南に下がる。新選組の屯所は、かつては洛中近郊の農村であった壬生村の八木源之丞邸であったという。その八木邸に、屯所跡が残っており、壬生寺には、近藤勇や芹沢鴨ら十一人の隊士の墓塔が、壬生塚に祀られている。さらに南へ行くと、かつての花街(かがい)、「島原」に当たる。「角屋(すみや)」や「輪違屋(わちがいや)」の建物に当時をしのぶ。浅田次郎の小説に、『輪違屋糸里』というのがあって、新選組初期に起こった事件を女性たちの視点で描いている。
その本が、僕を島原へと誘(いざな)った。
(島原 大門)
(角屋)



