太秦広隆寺
太秦広隆寺…平安遷都以前からこの辺りは渡来人の秦氏一族が居住し、農耕・機織り・醸造を伝えたとされる。秦酒公(はたさけのかみ)が、秦氏の諸族とともに多くの蚕を飼い、絹などを多く織り、その品々を天皇に献上した。それらは山のごとくうず高く積み重ねられたという。天皇はことのほか喜ばれ、秦酒公に対して「うずまさ」の号を授けられた。いつしかその称号が地名になった。そして、飛鳥時代に秦氏の子孫秦河勝が聖徳太子に仕えて仏法を興隆し、太子の菩提のために建立したのが京都最古の寺院である広隆寺であり、太子の「太」と秦氏の「秦」を取って、太秦(うずまさ)と読むとしたと伝えられている。別名蜂岡寺とも言い、周辺には蜂岡の地名が残り、近くには蜂ケ岡中学校もある。太秦の地名は、かなり広範囲に及んでいる。
聖徳太子から賜った仏像が、弥勒菩薩(半跏思惟像)であり、戦後の日本の国宝第一号である。
僕が大好きな仏像は、奈良薬師寺の聖観音像、興福寺の阿修羅像、そして広隆寺にある弥勒菩薩。とにかく好きで、毎年のように弥勒に会いに行く。広隆寺は、京都の他の寺社に比べると人の出が少ないように思われる。お寺の方に伺うと、積極的に誘致はしていないからでしょうとのことでした。
弥勒菩薩は、いつも静謐のなかにいらっしゃる。
蚕ノ社
蚕ノ社(かいこのやしろ)…養蚕を伝えた秦氏ゆかりの養蚕(こかい)神社、通称「蚕の社」。駅の北側に鳥居があり、鳥居をくぐってまっすぐ行くと三本柱の鳥居がある木島(このしま)神社がある。この神社の中に、蚕を養うと書く養蚕(こかい)神社があり、この神社のことを地元の人は「蚕ノ社」と呼び、通称名となった。
初めてこの神社の鳥居に向き合った時、その背後の杜(もり)が醸し出す霊気にただならぬものを感じた。鳥居をくぐり抜け、社殿への道を歩く。
この地には太古の息吹がする
そんな印象を受ける養蚕(こかい)神社であった。今でも、ちょっと時間が空いたりすると、つい寄ってしまいたくなる何とも魅力的な神社であり、杜である。
隣接して保育園がある。




