京都市内を東は叡電、西は嵐電が走っている。区でいうと、左京区と右京区がその中心となる。僕の遠い昔、学生時代のころの通学の手段は専ら叡電だった。その二つの電車は、昔を今日につないで走り続けている。
嵐電を取り上げてみる。
数年前、「郷土の歴史の一端を」をということで、そのテキストとして嵐電の駅名を利用し調べてみた。嵐電のホームページに負うところも多いし、ご存じの方も多数いらっしゃると思われるが、ところどころ周辺を寄り道しながらつぶやいていきたい。寄り道をしたのはコロナ禍前で、人の流れでいえば、昨今はずいぶんと様変わりしている場所も見受けられる。
嵐電の玄関口は二つある。「四条大宮」「北野白梅町」両駅で、その二路線は、「帷子ノ辻」駅で合流し「嵐山」駅を目指す。
・北野線 北野白梅町→等持院→妙心寺→御室仁和寺→宇多野→鳴滝→常盤→撮影所前→帷子ノ辻
※現在、「等持院」は、「等持院立命館大学衣笠キャンパス前」となっている。
・嵐山本線 四条大宮→西院→西大路三条→山ノ内→嵐電天神川→蚕ノ社→太秦広隆寺→帷子ノ辻
→有栖川→車折神社→鹿王院→嵐電嵯峨→嵐山
先ずは、帷子(かたびら)ノ辻を出発し、四条大宮方面へと。
帷子ノ辻
嵯峨天皇(786~842)の皇后である檀林皇后が亡くなったとき、棺を戸板にのせて葬送の途中、この辻に差し掛かったところ、折から吹いた一陣の風により、柩の覆ってあった帷子が飛び散った。このできごとが伝承され、この辺りの地名になった。また、南には道がなく、北側のみに分岐していたことから「カタビラ」の地名になったという説もある。
(寄り道)
※蛇塚古墳~京都府下最大の横穴式石室を持つ前方後円墳。被葬者は、広隆寺の創建者秦河勝と言われている
それは、松竹撮影所南側の住宅地の一画にあった。
蛇塚古墳を初めて見たとき、唖然とした。むき出しの石室から推しはかる前方後円墳の規模の大きさを思ったからだ。奈良、平安以前での秦氏の力のほどがうかがえる。その秦氏ゆかりの寺が広隆寺。
帷子ノ辻から広隆寺に湾曲してつながる道がある。大映通り商店街と名付けられている。この辺り一帯は、かつては「東洋のハリウッド」と称されるほど数多の撮影所があったが、今は、松竹と東映を残すのみである。通りにその名を残した大映だが、その通りの帷子ノ辻側には、大映制作でヒットした『大魔神』のその大きなモニュメントが道行く人々を睥睨(へいげい)している。さぞかし1950年代は賑やかだっただろうなあ。撮影の合間に買い物にでも出てきたのだろうか、ちょんまげ姿の俳優さんを今でも時折見かける。当時はパチンコ店も複数店在ったらしく、撮影衣装で球を打っている光景なんかを思い浮かべるとなぜか楽しくなる。
広隆寺寄りにある居酒屋「まつぼっくり」、手打ちうどんの「ほそ井」は知人の経営する店です。美味しいですよ。


