(仙台発名古屋行きフェリー)

 

アルゼンチンはブエノスアイレス。タンゴに不可欠な楽器、バンドネオンを通りで奏でる  おじさんに、「どうしてそんなに哀調を帯びた音色なのか」を問うた。「喜びと悲しみの間に人生があるからさ」、彼は答えた。      (NHK.BS とある番組で)

 

⑳(平成三〇年一月十九日)

 

(昨年二月の文章から)

 「終活」にはまだ早いと、意地になって思うのだけれど、やがて重いものを持つこともかなわなくなるその前に徐々に身辺整理を始めている。そのひとつが本の処分で、過日、多くを段ボール箱に詰めてブックオフに持っていった。愕然。冗談じゃなく、涙が出そうになった。愛着の度合いや元値に関係なく、二束三文で引き取られた。それ以降、ブックオフを自分の書庫と無理やり思うようにしている。そんな中で、やはりどうしても手放せない本もある。

 私学受験の日、たまたま早く帰宅し、NHKの七時のニュースに続く「熱視線」の番組で、僕の「手放せない本」の一冊が取り上げられていた。四十五年ほど前に購入した『二十歳の原点』である。その本が、今でも一部の若者に読み継がれ、彼らの行き方に影響も与えているという。嬉しかった。書名は、故・高野悦子さんの日記に記されてあった「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」によっている。

 時代背景は現代とは大きく違う。けれども、若者は時として時代や社会の閉塞感を同じように抱くのではないだろうか。そして、私が私であるために、自分自身を客観視するために、この本と出会っているのではないだろうか。高野さんは、同じ学部・専攻の僕の二年先輩でもあった。

 悩んでいたい。悩まずにはいられない。人は、そこから人生をつくる。

 また、つくらねばならない。    

 

(船上からの落陽  拓郎の「落陽」は苫小牧発仙台行きフェリーだった)