(福島県いわき 「白水阿弥陀」)
⑲(十二月八日)
師走に思う
昨年の十二月、家の者が「原発を見たい」と急に言い出すので、それではと車を若狭に向けて走らせた。
「原発銀座」と呼ばれるように、若狭湾沿いに、北から鶴賀、美浜、
大飯(おおい)、高浜の原発があり、現在は休止中(高浜原発は今年の六月から裁判所の運転停止の仮処分がとけ稼働している)だが、再稼働の方向で準備中である。
以前から磯釣りが趣味で、毎週のように通った鯖街道を北上し、大飯に向かった。原発の全体像は見えなかったが、テロとかの警戒もあるのだろう、ゲート付近では警備の人に白い眼で見られた。高浜では、発電機の全容を見ることができ、その光景は、僕に福島第二原発へと思いを至らせた。
地震と津波が引き起こしたその原発事故は、未だ収束をみておらず、この先も長い歳月を要するようだ。加えて、他所へ避難を余儀なくされている児童が、いわれもない嫌がらせや差別を受けるというニュース報道も未だに時折耳にする。あの大惨事の記憶が薄れてきているのだろうか。
東日本大震災が起こった六年前のちょうど十二月に、僕は福島県のいわき市を訪ねた。当時に記した文章を読み返してみた。皆さんにも紹介したい。
いわき市を訪ねて
《その1》
福島県いわき市。おそらく京都に住む多くの人々は、その地名を知らなかっただろう、今回の東北・太平洋沖大地震の連日の報道をみるまでは。 現:東日本大震災
今では随分と昔になるが、私は父親の仕事の都合で、大阪の高校から、そのいわき市にある磐城高校へと二年生時に転校した。
旧制中学の名残たっぷりで、弊衣破帽のいわゆる蛮カラ。夏は下駄履き登校の、腰手拭いである。都会の共学校から、いきなり「オス!」の男子校へと放り込まれた。 浪人時代を含め、途中父親の転勤で下宿生活となったが、三年間をいわき市で過ごした。楽しかった。それは一人暮らしとなった気軽さだけではなく、多分にいわき市の風土に負うところがあったものと思う。
五つの市と四町四村が合併してできたばかりで、小名浜や四倉の漁港、久ノ浜の延々たる松林と砂浜海岸に塩屋の灯台、夏井川の清流に阿武隈山地に連なる奥深い山々、平の城山や奥州三関の一つ勿来(なこそ)の関と白水の阿弥陀堂等々の旧跡、常磐炭田は閉山となったが映画(「フラガール」)のモデルともなったハワイアンセンターが登場したのもこの頃だ。実に変化に富んでいた。そして何よりも、その地に根ざす人々の生活と人情。
青春に光と影がつきまとうものならば、その地で仰いだ太陽は眩く、その分陰翳は濃かった。
そのいわき市が、多くの級友が通ってきた福島県の浜通りが今回の大地震や大津波により、未曾有の被害を受けた。さらに原発の放射能汚染が追い打ちをかけている。
ずっと沙汰止みになってはいる級友の、ニキビ面が、白い歯が、時に口角沫を飛ばした声が、彼らの家々が、三年間が、浮かんでくる。
状況が許す時が来れば、いわきを訪れようと、今私は思っている。 (2011/4月4日記)
(「白水阿弥陀」は、岩手県平泉の「中尊寺金色堂」、大分県豊後「富貴寺阿弥陀堂」と並んで、三大阿弥陀堂と呼ばれている。平泉の泉を分けると、白水となるのだが。)

