(津軽 十二湖「青池」)

(津軽深浦文学館ー太宰治の宿ー)

(深浦海岸)

 

⑱(十二月八日)

 

  回想その④

4.「まさし」のこと

 クラスの「まさし」の母親から連絡があった。時たま制服を汚して帰ってくるそうな。理由を問うても言わないとのことであった。ぼくも、「まさし」と他クラスの何人かの動きをやや気にしていた。彼らは一緒に下校したりしているし、一見したところ同じ仲間と見まがえてしまう。「まさし」は少々気が弱く、自己主張も少なく、ともすれば周囲に流されてしまう面もあった。

 一室で、ぼくは「まさし」と向き合った。母親の心配を話し、理由を問う。しゃべらない。しゃべらない、しゃべれないところに理由は存在する。本当はいたわらなければならないだろう「まさし」を、ぼくは怒り、どやしつけ、そしてはげました。その繰り返しのなかで、「まさし」は泣きながら事実を語りだした。圧し殺し、自らが封印してきた胸の裡を吐露した。

 

    誰にも打ちあけることのないつらさを、時に、人はいだいている。それは、とてもやるせなく、さびしいな とぼくは思う。

     

 ※小学校の2年生からのほぼ五年間を山口県の下関市で過ごした。学生時代から住む京都を除いては、最も長い期間となる。その六年生の時、大人になってからはためらいなく言えることだが(もっとも自分から言うことでもないが…)、結構重い痔病を患った。

 半年近く母親に連れられ通院しただろうか。その度に学校を休んだのだが、友達には絶対にその理由は知られたくなかった。肛門の病気であること、パンツがはけずにふんどしをしてたことなど、口が裂けても言えなかったし、知られるくらいなら死んだほうがましと、その時は思った。もしかしたら、本人の思いとは違っていて、周囲は、今の僕が思うようにそんなことは些細(ささい)などうでもよいことであったり、一笑に付すことだったのかも知れない。でも、その時の僕自身の気持ちは違った。老医師のおかげもあり根治し、その後の再発はなかった。

 その体験は、先に書いた「誰にも打ちあけることのないつらさを、時に、人はいだいている」だろうなという、僕の他者に対する見方を育ててくれたように思う。自身の能力や性格あるいは出自に関わる事柄(ことがら)であったり、身体に関わるコンプレックスであったりと多様な悩みや思い… だから、相手がたとえ生徒であっても、決してその全てを理解しているというようなおごった見方は絶対にしたくない。わからない部分はわからないものとして一旦は受け止めることも大切だと思う。それぞれが、そんなやっかいな自分自身と向き合っている。だからこそ愛おしい。

 ふと、僕自身が大切にしている左記の言葉が思い出された。

 

     我が心は石にあらず

     転(まろば)すべからざるなり

     我が心は蓆(むしろ)にあらず

     巻くべからざるなり          出典:詩経

 

 (私の心は石ではないのだから、転がすことなどできはしない。私の心はむしろとは違うのだから、巻いてまるめることなどできはしない。高橋和巳に「我が心は石にあらず」という小説があり、彼の作品は往年の学生たちによく読まれた。今や彼の名を聞くことがなく、時代のうねりのすさまじさを思う。)

 

 三年生の国語の教科書に今も載っている新川和江さんの詩、「わたしを束ねないで」に通じるものを感じる。すぐに読んでみて 。

 

(津軽 千畳敷海岸)