(青森県下北半島 大間)
Stay Hungry (ハングリーであれ
Stay Foolish. バカ者であれ)
⑬(十月二十三日)
※ちょうど昨年の今頃に記した文章を載せてみたい。皆さんは、どう読むだろう。
テレビ番組表で予約し録画をするものの、見ないで消してしまうことが多い。一旦は消去しようとしたのだが、なぜか気になって、見た。それは、今や市場を席巻しているiPhoneを生み出したアップル社を立ち上げ、その強烈なカリスマ性ゆえに、反感も買い、一度は自分の会社さえも追われたことがある故スティーブ・ジョブズ。彼が死の5年前にスタンフォード大学の卒業式で行った『伝説のスピーチ』にまつわる番組であった。スピーチの柱は三つからなる。以下、要約すると、
[点と点をつなぐ]
「バラバラに見える点もいつかつながる。信じる根拠は何でもいい。いつか点はつながると信じれば、心のままに進む自信が持てる。みんなが行くような道じゃなくてもいい。それが人生に違いをもたらすんだ。」
[愛と喪失について]
「創業者でありながら、会社を追われた。人生最高の転機であったが、アップルを首になってよかった。」「自分の仕事は素晴らしい仕事だと信じなければ満足などできない。」「愛する仕事を見つけるまでは、絶対に立ち止まってはいけない。」死を前にしては、「誰のものか分からない人生を生きることなどできない。」
そして三つ目が、
彼が座右の銘にしてきた冒頭の言葉であり、それを卒業する学生達に贈った。面白いのは、彼のその言葉の意味するところを、彼に近しい立場にあった者たちがそれぞれ解釈する場面であった。ある者は「もっといけるだろう。ズレても心配するな」の意だといい、「自信過剰になるな。もっとバカになってみろよ。」であったり、「もっと外れてみろよ。舗装された道ばかり行くと、本当の旅の機会を失うぜ。」と彼は言っているんだ、と言う者もいた。また、彼が師事した禅僧の弟子は、「愚か者のように、間抜けのように、ひたすら同じ事を続ける者こそ、最高の悟りを得る者である。」という禅の教えがあるとも述べた。さて、皆さんはスティーブ・ジョブズの発言をどう捉えるだろうか。
僕自身が常々思うことは、「知っている」ことは生徒たちよりは、はるかに僕の方が多いだろう。でも、「知らない」ことの量においては大差はない。未知なることは無限大なのだから。そう知ることが、生きる上での謙虚さに、そして飽くなき探究心を持ち続けることにつながるんじゃないかなと思う。
「知らない」こと、愚かであることを自認したいし、生きることは、知ること、知っていくことなんだとも思う。
⑭(十一月六日)
先月の初め、「右京ふれあい会館」に吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行った。生徒は、途中で僕が寝ていたというけれど、そんなことはないよ。曲目に、宮崎駿のアニメ映画曲がメドレーとしてあり、それらのシーンを演奏を聴きながら思い浮かべていたんです(多分)。
宮崎作品では、とりわけ「もののけ姫」の歴史的ファンタジーとも言える物語が好きです。そこには、人間と自然の関わりがあり、人間同士の憎悪や浄化などのテーマも感じられます。
「となりのトトロ」が、もう三十年も前の作品だとは、曲紹介で改めて知りました。「トトロ」の時代設定が昭和の三十年前後だろうと思えるし、登場人物の妹「メイちゃん」は、ちょうどその頃の僕自身と重なります。茨城県の土浦の結核病棟に、当時母も入院していました。「メイちゃん」のお母さんも同じ病気なんでしょう。抗生物質が普及しだしたこともあり、命はとりとめたけれど入院期間は一年以上に及んだと記憶しています。「メイちゃん」と同じように、一人で病院までお見舞いに行ったことも何度かあるようです。母もまた、僕が帰るその後ろ姿をずっと見ていたそうです。親子連れで行く保育園の遠足があり、多くの子が親から水笛を買ってもらっていました。僕も欲しかった。でも、買ってもらえる母は入院中でした。今でも覚えています。だからかな、子供がじっと我慢したり、耐えている姿をみると、やるせなさや、いじらしさを今でもたまらなく感じてしまいます。
現追記:ジブリ作品では、「コクリコ坂から」も大好きです。たまに挿入歌の『サヨナラの夏』を聴いてはノスタル ジーに浸ったりして… 「ゲド戦記」の『テルーの唄』も「天空の城ラピュタ」の『君をのせて』も、歌詞も曲もいいですね。
(下北半島宇曾利山湖 と 恐山)
(賽の河原)




