(北海道 摩周湖)
③(四月十四日)
『学海無涯苦作舟』を眼にしたことはあるだろうか。
その書は、職員室入り口向かいの、いろいろな賞状やトロフィーが飾られている横にある。中国の重慶にある巴蜀中学校から寄せられたものと書いてある。「学びの海は涯(はて)しなく、苦労という船で渡るしかないのだ」という意味だろうか。
学ぶこと、勉強することはしんどい。「勉強」の語句自体が「強(し)いて勉(つと)める」ことなのだから、もとより楽なはずはないのだ。よく「勉強の仕方がわからへん」という文句を耳にするが、往々にしてその言葉は「どのように楽をして…」の部分を省略して言っているように思われる。
もうひとつ紹介したい。
『不為也 非不能也』(なさざるなり あたわざるにあらざるなり)だ。
古代中国の孟子の言葉からの引用なのだが、それは、自分から進んでしようとしないだけのこと、できないということではないのだ、の意だろう。昔、小中学生の勉強に対する心構えを説くために、探し出した言葉なのだけれど、齢を重ねた今の僕をも叱咤してくれる。
時として人は、やろうとしない理由を探して色々と言う。やることの理由に比べて、やらないことの理由なんていくらでもさがせる。授業中の姿勢を含めて、やることは目の前にある。逃げ道はない。
④(四月十七日)
また聞きなのだが、私たちが忘れてはならない日として、3月10日、6月23日、8月の6日、9日、15日を平成の天皇は示されたらしい。それは、東京大空襲の、沖縄戦終結の、広島・長崎への原爆投下の日である。一夜にして、短い期間で、そして一瞬のうちに数多の命が奪われた。それが、15日には終わる。
忘れられない日付というのは、もちろん個々人にもあるだろうが、やはりそれらの日は日本の社会が、我々がその惨劇の内容とともに、永久に記憶から消してはならないものと、僕も思う。詳しくは、これからの社会科の授業でも学習していくわけだが、来月にはその沖縄を僕たちは訪れる。
ずいぶんと以前のことになるが、生徒の平和学習で、明石家さんま主演の「サトウキビ畑の唄」を見た。その時に、昔を思い出して次のような文章を僕は書いた。
「僕のなかの沖縄」
終戦後、米軍の施政下にあった沖縄が日本に復帰した1972年の夏、大学2回生であった僕は、キャンプ用具などを詰めた大きなリュックを背負い、鹿児島から船でパスポートが不要となった沖縄に向かった。当時、歴史を専攻していた僕は、日本の近代の戦争の歴史のなかで、唯一地上戦の舞台となった沖縄への思いは深く、その地を是非とも膚で感じたくての行動であったと振り返る。
「まだ沖縄での戦争は終わっていない…」
耳をつんざく轟音をたて飛び立つ黒いジェット機を見た嘉手納基地での印象であった。長い鉄条網のフェンスに囲まれた基地は広大で、そのフェンスのすぐ外側にある狭い耕地を、農夫が鍬で黙々と耕していた。
当時は、ベトナム戦争が終息に向かっていたとはいえ、数あるその沖縄の米軍基地からは連日のように爆弾を搭載したジェット機がベトナムへ、あるいは多くの戦死者を載せ帰還していたのだ。つまり、戦争の舞台としての沖縄は依然としてあった。「あの悲惨な沖縄戦から、二十数年も経つというのに…」
「ひめゆりの塔」「健児の塔」を訪れたあと、僕は「摩文仁の丘」に立っていた。
1945年4月の米軍上陸以来、追われ南に逃れた住民は沖縄本島最南のこの丘から断崖に身を投じた。僕は、当時と変わらぬだろう海の青さを見つめていた。
二十万人近い沖縄戦での戦死者のうち、半数以上が島民であった。そのなかには、日本軍の命令で集団自決をはかった島民、スパイ容疑や命令不服従で日本軍に殺された島民もいた。戦争は人間が起こすのだが、その戦争はいよいよ人間を狂気に駆り立てる。僕は、海を見ていた。
キャンプを張りながら本島を北上していた僕は、中腹の伊江島に渡り、そこで数日間を過ごした。そこは島全体が基地であり、基地の中に不発弾の散乱する農地があった。土地の返還を求めた運動の先頭にいた阿波根さんとお会いしたとき、その老人の顔に刻まれたしわに僕は 沖縄の歴史を感じた。さんご礁の広がる浜のキャンプ場では、たまたま島の中学生たちと一緒になり、いろいろな話を聞くことができた。阿波根さんのしわが沖縄の歴史ならば、彼等の唾を飛ばしながらしゃべる姿は沖縄の未来であったように思った。
その後、僕は沖縄を訪れたことはない。僕の沖縄には、残念ながら延々に続く「さとうきび畑」の光景はない。でも、沖縄に観光に行った僕の娘は、広々とした「さとうきび畑」を見たのか、今度会った時に聞いてみたい。「さとうきび畑」それは沖縄の平和なのだろう。
その後、二回ほど修学旅行の引率で沖縄に行く機会を得た。今や、たった二時間の空の旅である。那覇の国際通りや途中の町並みは当然変化し、いたる所に商業施設も建てられていた。でも、美(ちゅ)ら海水族館から眺めた伊江島の島影は昔と変わらなかった。かつての中学生は五十歳半ばを過ぎている。糸満の平和公園はきれいに整備されていたが、摩文仁の丘から見る海も変わらなかった。ガマはタイムカプセルのように「昔」を閉じ込めている。
そして、変わらず米軍基地もあった。
修学旅行を前に、「沖縄」を考えたい。
(北海道 屈斜路湖)
(北海道 ルトロ湖)


