泉岳寺写真集~
何日かまえに見てきたのでちょっと詳細忘れてきましたので
うる覚えのものだけを
赤穂浪士ものしりクイズ形式で送ります![]()
クイズ: これだ~れだ?義士館に展示してある
答: 大石内蔵助 享年44歳
クイズ: この看板は誰が作ったでしょう?
赤穂浪士が1年10ヶ月浪人していた時
内職で誰かが作っていました![]()
とっても字が上手でアイディアマンですね
刷毛屋(はけや)さんの看板です
答: 堀部彌兵衛 (安兵衛のおとうさん)享年77歳
クイズ: じゃ、このはみがき屋さんの看板の字は
誰が書いたでしょう?
答: 堀部安兵衛 享年33歳
とても字が美しいですね~
クイズ: これは誰でしょう?
夫の切腹のとき、詠んだ歌が右斜めの短冊に書かれています
『陰ながら、松の下枝につらなりて
ともに御法の道につかへん』 ・・・胸にこみ上げてきて涙が![]()
答: 浅野長矩の妻・瑤泉員(ようぜんいん)
浅野長矩は、吉良義央に刃傷した即日に、切腹でした
正室・瑤泉員の覚悟が、歌に詠まれていて、胸を締め付けられる想いです
クイズ: 泉岳寺の義士館に植わっている梅の木です
誰が植えたものでしょう? そして、この木に名づけられた名前は?
答: 堀部安兵衛の奥方(堀部妙海尼)が
浅野長矩の妻・瑤泉員(ようぜんいん)から賜った鉢植えの梅を
『瑤池梅』と名づけて、自らこの境内に植えた梅ノ木だそうです
樹齢300余才なんですね~
ひょう~~ッ![]()
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江戸幕府が「罪人」として取り扱った、赤穂浪士たち
一方で
元号が変わった明治元年(戊辰11月5日)
明治天皇は京都から東京へ引っ越す時
品川宿へたどり着くと
泉岳寺へ使いを送り
赤穂浪士を『忠義の義士』と称え弔ったそうです
感動です!
『なんじ(大石)良雄(よしたか)ら
固く主従の義をとり
仇を復して法に死す
百世の下、人をして感動興起せしむ
朕、深く嘉賞す
今、東京に幸(みゆき)するにちなみ
汝等の墓を弔い、かつ、金幣を賜う
宣 』 うう~~~泣けるな~![]()
最後になりますが聞いていただけませんか?
この義士館、以前はレンガ造りでしたが
大正12年(1923)関東大震災で倒壊しました
2年後の大正14年に、清水建設が鉄筋コンクリートで復旧し
現在も80余年の歳月を耐え抜いている建物です
先回、泉岳寺ブログで書いたのですが
高島嘉右衛門は大正3年に亡くなってから
こちらを菩提寺にしています
コンクリート事業で名をはせた高島翁
高島の側用人(番頭)だった高祖父は、高島翁が没した後も
日本最大手だった高島のコンクリート経営を引き継いでおり
この大正あたりは、清水建設に施行をさせて
コンクリートの注文を受けていたはずなので
この義士館
わたしの高祖父が手がけた会館の可能性が大です![]()
高祖父は
当時コンクリート事業で政府と組んでいたし
この義士館の真横に、高島翁の大きな墓碑がたっているし
実業家だった速水柳平は
二松学舎に図書館を作ったのですが
清水建設に施工させているし![]()
わたしにとってうれしい発見でした
また、泉岳寺へお参りにいきたいと思います![]()




