執着もまた良し | 浮世の暁

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うきあか です。


願望実現とかに限らず、執着しないことが大切だと言われています。


実際そのとおりだとは思いますが、


あまり執着を悪いものと見てかかる必要もないなあという気がしています。


これは 「執着しないことに執着するのはやめよう」 というのとはちょっと別の話です。



二元性から離れて穏やかな状態になったときに 執着というものを見つめると、


何というか、いとおしい、かわいいものだと思えてきました。



そのとき、豆柴が噛むおもちゃを必死に追いかけている場面が浮かんできて(私は犬好き)、







願望消滅 創造意識の大海へ-豆柴



「執着があってもいいんじゃない?^^ まあなくてもいいけど」


って気持ちになりました。




そういう大前提のうえで、執着とどう向き合うかが大切だと思います。





執着 (およびその他の「手放す」対象となる感情) という存在を、


悪魔のように見立てるか、豆柴のように見立てるか、


こちらの捉え方次第でどうにでもなってしまうのですね。





ただし、執着を子ども扱いするのは避けた方がよさそうです。


そのような接し方は、純粋な執着に対して こちらが純粋に向き合っていないからです。


小さな子どもでも、ある程度の年齢になれば、子ども扱いされていることに気付いて


表向きは喜んだふりをしていても、内心反発するようになりますよね(露骨に反発することもあるかな)。




適切にその存在を認めること。


そのためには、二元性にとらわれない場所から意識して見つめて、観察すること、


それが大事かなと思います。



そして、執着その他の感情をありのまま見つめて、穏やかに見守るような境地になると、


執着は消えてなくなる・・・というよりは、「創造意識の大海」と一体化して、まったく別のものに変容しているでしょう。


執着をありのままに見つめるには、意識が執着と一体化していたらだめです。


客観的に、「私は○○を欲しくてしょうがないんだなあ」と気付くことは必要です。



執着を「エゴ」と置き換えてもいいかもしれないですね。