帝国海軍潜水艦の元気食 サイダーとミカンの缶詰 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 太平洋戦争で制海権を奪われた日本海軍は,遂に補給に潜水艦を使うようになり、昭和十九年末には,物資輸送を専門とする小型の輸送潜水艦が建造された。物資輸送にあたる潜水艦のことを兵隊さん達は「マル通」と呼んでいた。小型の輸送潜水艦には,魚雷も大砲もない。牙を抜かれた狼のような潜水艦だ。

 基準排水量370トン,全長44.5mの波号第百二潜水艦の中は,非常に狭い。通路もすれ違うことができないほどだ。

 

 

この潜水艦の調理場は,約七平方メートル,二坪強しかない。ここに食品庫、冷蔵庫、真水タンクと五キログラム炊き電気釜三台と電気焼器一台、残飯処理装置一式が入るから,その狭さは推して知るべしである。艦内で十分間お湯を沸騰させると、湿度は九十パーセントを超えて天井に水蒸気が結露して雫がボタボタ落ち、床はびっしょりと濡れる。艦内の機器類は、メインエンジンを除きすべて電気であるから、湿度が高いと故障の原因になる。

 このため無火食という調理法が研究された。無火食とは,お湯を入れて三分間待つと御飯になる。今でいうインスタント食品である。副食も缶詰が中心で,お湯は八十度以下で調理し,絶対に沸騰させない。

 水上航走時は、嵐でなくとも小型の潜水艦はかなり揺れる。このため食欲は減退し、ほとんど食事を食べない乗組員も出てくる。四十三人の食事が,米一升で間に合うようなことが再三あったという。

 そんな食欲のない時でもサイダーとミカンの缶詰は、ほとんどの人に喜ばれた。サイダーとミカンの缶詰は,小型潜水艦乗組員の元気食だったに違いない。