安いか高いか,火縄銃が2挺で1億円以上 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 種子島に鉄砲が伝来したのは,今からおおよそ480年前のことである。その時,種子島の領主だった種子島時尭は,二挺の鉄砲を金2000両で手に入れた。

 

種子島に渡来した鉄砲など

 

 この価格について,1606年に成立した鉄炮記は,『その価の高くしておよび難し』としか記載がない。つまり『とても高かったですよ。』と言っているだけなのである。明治に著された『南島偉功伝』は,鉄炮献上の礼に2000金を贈ったとしている。その根拠としているのが,1614年に刊行されたピントの『遍歴記』で,それには鉄砲のお礼に「1000タエルの銀」あるいは「銀千両」もらったと記されているのである。このピントさんは,ポルトガルの冒険旅行家で日本にも数回来航したことがあるのだが,かなりのほら吹きとして札付きの男でもある。

 ともあれ,鉄砲伝来時の鉄砲の値段を記している資料は,これしかない。また当時の2000両が現在のいくらにあたるかについては、現代と当時とでは社会状況が全く異なるため、様々な説がある。研究者によって約500万円から1億円とかなりの幅があるのである。種子島の鉄砲館は,鉄砲2挺で1億円以上との説を取っている。

 

種子島の鉄砲館

 

 種子島の鉄砲館の説明プレート

 

 これを基準にして鉄砲伝来時の鉄砲の値段について考えると,かなり安い金額だったといわざるを得ない。当時の鉄砲は,先端技術の塊だ。今で言えば宇宙ロケット技術のようなものである。しかも譲り受けたのは,鉄砲というハードばかりではない。正確な射撃方,火薬の製造方法,ネジをふくむ鉄砲の製造技術というソフトも譲り受けているのだ。しかも火薬原料の硝石の人造技法までも学んだと,種子島では云い伝えられている。

 

 

もし仮にそうだとすれば,きわめて広範囲での先端技術の譲渡があったことになる。それを考えると鉄砲2挺で1億円以上というのは,驚くほどの安い値段だったというほかはない。