伊達政宗の兵糧 仙台味噌 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 世に伊達の鉄砲好みと言われるように,仙台藩の鉄砲充実の基礎を築いたのは,南奥州の覇者の伊達政宗である。伊達政宗は戦国の黒煙の中から生まれたような男であるが,文学の素養も深く,多くの才能を持った武将だった。政宗は武器や武略だけでなく,兵の食料補給にも気を配ったことは注目に値する。

 

   仙台筒二十匁,十匁玉火縄銃

 

 政宗は,兵食にアルファー米に似た干飯の作成技法を大坂道明寺から取り入れたほか,味噌作りにも力を入れ,今に伝わる仙台味噌の基礎を築いたのである。戦国時代,いくさ兵糧には味噌が欠かせなかった。味噌は調味料としてだけでなく、貴重なタンパク源であり、塩分供給源としも重要だった。しかも味噌は,栄養に富み長期保存が可能で,調理も簡単,軽量で携帯しやすく兵食にはうってつけなのである。

 豊臣秀吉の命による朝鮮征伐で,伊達政宗が浅野長政等と共に朝鮮に渡り蔚山で戦った時、他藩の味噌は夏期に腐敗してしまった。しかし、伊達家の味噌だけは,少しも変質せず味も優れていたので、請われて他藩に分ち与え「伊達家の味噌は,美味くて質が良い」と評判になったという。

 

写真引用とうほく知的財産いいねっと

【宮城県】仙台味噌・仙台みそ | とうほく知的財産いいねっと (meti.go.jp)

 

 

 伊達家の味噌,つまり今にいう仙台味噌は,熟成期間が長く,塩がよくしみわたり,当時としては麹の量が多かったため変質しにくかったのだと,八戸の造り酒屋で,南部杜氏の親方から聞かされた。もう三十年も前のことだから,記憶はあやふやだ。しかし微生物に詳しい現場の杜氏から聞いた話だから,書物ばかり読んでいる研究者よりもずっと信用性が高いと思っている。