ポルトガルが種子島へ伝えた二丁の鉄砲には,それぞれ「故郷」と「腰差し」という名がつけられた。このうち「腰差し」の行方は分からないが,「故郷」は種子島に伝来後ずうっと種子島家に受け継がれ,残念なことに西南戦争の兵火で明治10 年に焼失してしまった。その後,種子島家により複製されたが,当時の姿を完全に写したものとは確実には言えないようだ。
また伝来時に,種子島家の命により,八板金兵衛が製作したといわれる鉄砲も残っている。しかし,この鉄砲は,所さんや安斎さんの調査によると銃身に「種子島住 定堅」と銘が切られていることから,矢板金兵衛の製作した鉄砲を江戸時代になって複製したものと考えられている。
どちらも,大切で貴重な文化財であるが,種子島に伝来した鉄砲や,それを複製した鉄砲のオリジナルは,残念ながら現存していない。とはいえ,種子島に伝来した鉄砲というのは,上の写真に酷似した姿をしている鉄砲だったと思ってよさそうだ。今は行方のしれていない「腰差し」もこんな雰囲気の鉄砲だったかもしれない。もし「腰差し」と名付けられた鉄砲が発見されたら日本中が大騒ぎになることは間違いないだろう。ひょっとして「腰差し」はあなたの側にあるかもしれないぞ。