宮城県南の一目千本桜は,今日も見ごろだろう。一目千本桜は,柴田町の船岡城跡の足元を洗う白石川の両岸,のべ八キロに渡り植えられた並木で,春には視界の果てまで桜の花が咲き誇る。日本に生まれたのなら,一度は見ておくべき風景の一つだろう。
船岡城跡と白石川
白石川下流 視界の果てまで続く桜並木
白石川上流
この川の約十数キロ上流には,伊達政宗の股肱の名臣,片倉小十郎の白石城がある。白石城は,一国一城令の例外として幕府から認められた城だ。
白石城
だが,仙台藩領には白石城も含め21もの要害と呼ばれる防御施設がある。千本桜の後ろにそびえる船岡要害もその一つだ。これら21要害は,要害とは名ばかり,実質は城である。江戸時代当時,船岡要害周辺の20キロ圏内には,金山,亘理,角田,岩沼などの要害と呼ばれる城が林立し,仙台南部の防衛線を形成していた。
仙台藩は,一国22 城の体制を素知らぬ顔をして幕末まで,維持してきたロクデモない藩である。仙台藩家中には,「江戸幕府,何するものぞ」との独立自尊の藩風がみなぎっていたと言っていいだろう。この藩風を持ちえたのは,仙台藩が所有していた四万丁を超える鉄砲も,その自信一つであったろうことは想像に難くない。
仙台藩の主力装備 四匁玉火縄銃
今,仙台は,ミニ東京化して小さくまとまってしまった感がある。往時の独立自尊の気概を少しでも持ち得なければ,独自の文化や技術が,宮城県内に生まれることはないかもしれない。そうはいうものの,どこの地方都市も,ミニ東京化してきている。これはこれでやむを得ない事なのだろうが,お国振やご家風を残す工夫も必要ではあるまいか。