仙台の鉄砲と仙台の職人たち | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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炎筋肉炎仙台の鉄砲と仙台の職人たち炎筋肉炎

,仙台藩の鉄砲について調べている。世上,仙台筒と呼ばれる仙台鍛冶の製銃した火縄銃には,沢山の工夫がみられる。その工夫は,鉄砲鍛冶などの職人と仙台藩の砲術家たちが一緒に研究工夫したものなのだろう。私にはそう思えてならないし,仙台の職人たちの技に心から感動してしまうのである。

 

仙台の鉄砲 

上が4匁玉火縄銃 下が10匁玉火縄銃

 

歴史に名を残すのは支配階級や知識階級の者がほとんどだ。しかし仙台には,歴史がその名を記憶しない素晴らしい職人たちがたくさんいた。私は,そんな職人たちに光をあていきたいと思っている。

仙台の鉄砲の特徴の一つとして,火挟みの工夫があげられる。火挟みとは,鉄砲に装填した火薬を発火させるための火縄を取り付ける部品のことだ。

 

馬面と呼ばれた仙台の鉄砲の火挟み

 

 

仙台の鉄砲は,その火挟みが外の地域や流派の鉄砲より長いこと,そして火挟みが高くカーブを描き急角度で,点火剤の入った火皿に落ちるよう作られている。下の写真は全国各地の鉄砲と比較した写真である。銃床と火挟みが作り出す面積が,仙台の鉄砲が一番大きいことがわかって頂けると思う。

 

日本全国の鉄砲と仙台の鉄砲の火挟み比較

一番上が仙台の鉄砲。 比較のため銃身と銃床の間にある胴締め金をそろえて撮影した。

仙台の鉄砲の火皿が,一番前方に付いていることがわかっていただけると思う。        

 

写真のように仙台の鉄砲が,火挟みを長くし,火挟みのカーブを高く大きくしたのは,仙台藩の砲術家が実戦の知識や経験を基に,鉄砲鍛冶たちに製作を要請したからだったに違いない。そして,この要請を実現するために,仙台の職人たちは,様々な努力と工夫を行った。火挟みを長くするためには,火挟みと火皿の間の距離を長くするしかない。仙台の職人はカラクリを工夫し火挟みを押さえる鋲をできるだけ後方に下げ,火皿も極力前方に配置したのである。

 

鉄砲鍛冶職人

こういう職人たちが,現代日本の技術の礎なのである。

 

封建制の時代,士分の者でも八階級に区分けするほ身分制にうるさい仙台藩において,士分の砲術家と鍛冶職人たちが見事なほどに連携していたことを仙台の鉄砲は物語っているのである。だから私は仙台の鉄砲が大好きなのだ。なぜ,このような工夫が仙台の鉄砲になされたのか,その実戦重視の理由については,また今度お話ししよう。