火縄銃 骨董品は不思議だ。その4 国友一貫斎の鉄砲 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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骨董品公式ハッシュタグ 令和元年8月12日 ランキング2位

骨董品は縁だ。縁を結びたければ,おもてに出ろ。

江戸時代の名工と言われた江州国友の国友藤兵衛重恭は,火縄銃の名工だ。号を一貫斎という。日本で初めて空気銃や反射望遠鏡を製作した優れた才能と技術を持った鉄砲鍛冶である。鼠の置物の口から油がしたたり落ちる自動灯明や懐中筆(筆ペン)なども考案し、後に「東洋のエジソン」と称された国友の傑物だ

私は,名工一貫斎の鉄砲というのは,どんなものか,それを分解して研究したくて,しばらく前から,骨董屋網を総動員して探し続けていた。骨董屋さんからの口利きやヤフオクでも一貫斎だとする火縄銃はあったのだが,どれも銃身に「国友藤兵衛重恭」ときちんと銘が残っているものはなかった。中には一番下の文字を鏨で削ったものや,明らかに消したと思われるもの少なくなかった。

 

 

このように国友藤兵衛重恭と銘があるのが本物。
 

国友藤兵衛とは世襲の名乗りで,それを名乗る鉄砲鍛冶はたくさんいる。しかも名前の上に重という字を用いている国友藤兵衛は,19 人もいるのだ。だから「国友藤兵衛重恭」と銘がきちんと残っている鉄砲でなければ,一貫斎の作とは言えない。偽って一儲けを企む悪い人は,少なくないのだと思う。

こんなことで四年が過ぎた一昨年のことだ。驚くべきことに,また突然,一貫斎の鉄砲の方から私に近づいてきたのである。

 

 

鎧を売りたいという人がいて,友人のお供をしてついて行ったら,売り主さんが,「火縄銃もあるよ。」と出してきたのが一貫斎の鉄砲だったのである。しかも売り主さんは,この鉄砲が一貫斎のことを知っていなかったため,普通の価格で私に譲ってくれた。

どう考えても,骨とう品というのは不思議だ。自分で考えて行き先を決めているように思えてならない。これが縁なのだと思う。

 

  

譲っていただいた時は,この銀象嵌は錆で埋もれてほどんと見えなかった。ピカールと重曹で磨いたら,豪華な花鳥図の銀象嵌が出てきたのである。 銃床は,美しい虎杢で透き漆仕上げにされている。いずれどこかの大名家の所持していたものと思わせる作品なのである。
 
カラクリは,とても貴重で珍しい二重ゼンマイカラクリだった。
 
ネットばかりやっていたのでは,良い縁を結ぶことは出来ないだろう。ネットは重要なツールだが,縁を結ぶためには,家の外に出ていろいろ動いてみないとダメだ。良い縁に巡り合いたいのなら,まず家の外に出たほうがよい。犬も歩けば棒にあたると言うではないか。