ネトフリを開いたら【とつくにの少女】というものが目に入った。
ぎょっとした。
なぜなら【とっくにの少女】に見えたからだ。その瞬間私の脳内では死んだのに死んだことに気が付かずにいる少女の話だと思ったのだ。同時に少女の死体はすでにウジや獣にくわれ骨だけとなっていて、骨になるまでの経過が勝手に再生された。しかもその少女は虐待されて死んだと思った。
でも【とっくにの少女】じゃなくて【とつくにの少女】だった。
私の認知の歪みがひどすぎる。
今日は寒い。
寒いのは苦手だ。
母は寒い日は狙ったように私を外に出した。
寒いとその時のことを思い出す。
外に出された時私は感情がなかった。寒さしか覚えていない。
一番ひどいときの記憶は空から見ている記憶だ。(その時は雪が降っていてパジャマで外に出され、歩いて山の上の高校まで助けを求めた日だった。高校には寮があったから。実際私は1時間ほどかけて高校まで歩いた。でも記憶が空から歩く自分を見ているものと高校の寮の前に居た記憶しかないので夢かもしれないと思っていたら、先日弟に実際起きたことだと聞いて酷く驚いた)
母に外に出される時になぜ抵抗しなかったのか。
近所に聞こえるように叫ぶべきだった。
警察を呼んでくださいと近所に助けを求めるべきだった。
私は親のために静かにしていた。
覚えているのは玄関から土間に落とされたときのタイルの硬さと冷たさと、そこに手をついて爪をたてて出たくないと、声を立てずにいたこと。焦り、不安、寒さへの恐怖、親はまたそのまま寝てしまって中に入れてもらえず、凍傷で体を欠損するのではないかと恐れていたことは覚えている。土下座でもしていたのかタイルが顔の近くにあったこと、タイルの冷たさと、感触だけが今も残っている。
その記憶と同時に思い出すのは新聞だ。
私以外の家族は新聞を読む。
でも私は新聞を読まない。
新聞は家族にとっては、読んで当然のものだった。
読まない私は、母から新聞も読まないのかと言われた。
食事中政治の話になっても私だけついていけなかった。
私にとって新聞は外に出されたときに体を包むものだった。
私と家族にとって新聞は全くべつの物だった。それは境界線のように見えた。
当時の私にとって、現在もそうであるが、政治や時事問題など興味を持つ余裕はなかった。
生きるか死ぬか、私には常にその2つしかなかった。