夏はたまに怖い話をすることにしてる


が、俺には

そんなに引き出しはない


今回は変わった話というか

精神病みたいな話になったらすまんな。


誰もこのことを覚えていない

不思議な話なんだ



 俺は小学生の時に3回転校をしてそのうち2年間分くらいは不登校だった。


理由はわかっていないが


学期の関係で途中から参加できないということを

親に言われて学校には行かなかった。


その期間というのは親と過ごした記憶はあまり無く共働きで忙しそうだった事は覚えている。


祖母と過ごした記憶は強めに残っている



小学2年生の頃に引っ越して次は

4年でその次は5年生の頃に転校をしている。



だから友達は基本はいなかった。


学校で運良く輪に入れた日は

学校から家に着いて家から出て友達と遊びにいく日もあったが



基本的に輪に入れなくて何が流行ってるのかもしらないので

誰とも仲良くなれないまま転校を繰り返してきた。


やはり転校する前の小学1年の頃が人生で1番辛かった。



友達が出来て友達が大好きで毎日遊んで

みんな勉強も頑張ってるから俺も頑張って

勉強も楽しかったけど


転校することが決まってから辛くて仕方なくて

転校先でも馴染めなくて

なんでか学校も行けなくなって


そんな毎日だった。

3回目の転校からは


あぁ、また友達を作ったら最初からリセットされちゃうんだろうな


ということで友達を作る意欲すらも湧かなかった事を覚えている。


今でもそのときの名残というか人との別れに対してかなりドライな所はある。


スパッと人と別れる事が出来る。



なので基本的には小学生の頃は

一人で過ごしてきた。


小学生の頃は

俺の数少ない友達が3人ほどいた

りゅうくん

てっちゃん

マサトくん


この3人とは遊んでいた

が、りゅうくんとてっちゃんは人気者で周りの友達が取っていっちゃうから



ほとんど俺はマサトくんと過ごしていた。

それでも幸せだった。

当然ながら友達に順位なんて存在しない。




俺の数少ない友達の名前は俺の親も未だに名前を聞くと覚えてくれている。



何故、この名前を親に聞いたかと言うと



1人だけどうしても

不自然な子がいてその事について

親に聞いた事がきっかけだった。



それがマサトくんで。




マサトくんは年上の友達で

当時、俺が小学四年生で

マサトくんは小学六年生だった。


何故、仲良くなったのかキッカケは全く覚えていない。


マサトくんは血液の病気で外で遊ぼうとすると

とても嫌がっていた


体中はアザだらけで寝て起きるとこうなってるんだってよく言っていた。


寝返りを打ってベッドに軽くぶつかるだけでも

アザになってしまうようで


サッカーボールが軽く当たるだけでアザになってしまうほどなので


それを理由に外では遊べないと俺に説明してくれたので


家で遊ぶ事が基本だった。


家でゲームを一緒にしていても年上なだけあって

ゲームに詳しくその上、勉強が出来るので


勉強もよく教えてもらっていた。


マサトくんに勉強を教えてもらってた時期は

成績が良かった。


全教科70点くらいは取れていた。



あの先生はあぁだ

この先生はこうだとよく悪口を言ってたが

それが凄く面白かったのも覚えている。


ただの悪口だけじゃないというか

分かる分かるといった感じで話を聞いていた




いつも日が暮れる前にはマサトくんは帰ってしまう。



家まで送るよと言うと毎回

『近いからいいよ!すぐそこだから!』

と言って走って帰ってしまう。


門限までにちゃんと帰る真面目さ

ゲームができて勉強も教えてくれて

話しも面白い人で


お兄さん的な存在で大好きだった。


そんなマサトくんがある日

下校時に姿を表さなかった。


いつもなら学校が終わり下校時には


門の外で俺がマサトくんを待っているか

マサトくんが俺を待ってくれているかの

どちらかだった



もちろん毎日ではない

学年も違うので帰る時間も違う事が多々あったが



何週間か遊ばなくなった日があった。

嫌われちゃったのかな


なんて思っているうちにその辺の記憶が急にない

当時は覚えていたのかもしれないが

今は全く覚えていない。


ある日の事


クラス替えがあり

マサトくんのおかげもあってか人とよく馴染めるようにもなった。


最近


ふと思い出して

大人になって考えるとかなり不自然な事に気づいて


マサトくんと遊ぶ時はいつも2人きりの時だけで他の友達は混じることはなかったし


家にいたうちの母とマサトくんが会話してるところも見たことが無かった。


あと

マサトくんは家を頑なに教えてくれなかった

近いから来なくていいよと言う謎の断られ方をされていて


同じ学校の名前が入った名札をつけていて

6年1組って書いてあったけど


学校内では一度も会った事が無かった


色々と今思い出すと凄く不自然で


最近、母親に俺の小学生時代の友達の話をした。


リュウくんやグッチーの事はもちろん覚えてくれていたが


1番よく遊んでいたマサトくんの事は母親が

全く覚えておらず


俺はマサトくんの顔や


身長が小学六年生なのに

当時、小学四年生だった俺よりも小さい事や


バッグの中は空っぽなのにいつも持ち歩いてた事


ドラクエのハッサン推しだった事


変な走り方


左腕のアザがいつも消えなかった事

面白がってアザを見てると面白がって色んな箇所のアザを見せてくる事


鮮明に覚えているのに



あれだけ家で遊んでいたのに俺の母は全く覚えていない。

仕事で家を空けている事が多かったが

それでも何回もマサトくんが家に来ていたのに


母は全く覚えておらず

当時の事を事細かく話したが


え、こわーい


しか言わなくて

もういいや…となったが


どうやっても俺とマサトくんの間には

誰も関与していなかった。




オバケだったらごめんね

結構怖いかもね



でも

調べると

イマジナリーフレンドというのが出てきて



幼児期から10歳くらいまでにこの症状が出てくる事が多く、児童期の間に消失するようだ



一人っ子や長男、長女に現れやすく

子供が成長していく過程でそれは正常な現象のようで


俺は長男で小学四年の頃にマサトくんと出会ってるから

結構、当てはまっていて




今、思い出してみても

俺はマサトくんが凄く好きで



重い病気を抱えていたけど明るくて

マサトくんのおかげで俺はその時期の勉強した事を今でも覚えていて

その時に習った友達の作り方も大事にしてる


本当に感謝していて



多分、イマジナリーフレンド史上1番暖かい話かもな



この人がいたから俺は不登校から立ち直れたし

人間的な基礎部分を教わった気がしている。



失礼な話

イマジナリーフレンドじゃなく

本当に存在する人だったら申し訳ないんですけど


どちらにしても

友達な事には変わりないんでね


消失しようが俺は覚えているから今でも友達だし

あの頃のまんま今、俺の目の前に現れたら怖いからやめて欲しいけど


辛かった時期を楽しい思い出に変えてくれたことに感謝してる。



これが俺の少し

変わった話でした。


また