日本海軍 400時間の証言
第三回 戦犯裁判 第二の戦争 NHK総合テレビ 2009年8月11日(火) 午後10時00分~10時59分 戦後行われた極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判。戦争指導者として文官一人、陸軍関係者6人が絞首刑となったが、海軍関係者の被告は終身刑。その後釈放された。 「海軍反省会」では、海軍という組織を守るため、水面下で海軍トップの裁判対策を組織的に行っていた事実を詳細に語っている。勝者の裁きに対抗するため彼らが行った活動とはどのようなものだったのか。 海軍が解体された直後に出来た組織、第二復員省。海軍の頭脳と言われた軍令部の参謀の多くが戦後ここで裁判対策を担った。戦争の責任に海軍の中枢にいたエリートたちはどのように向き合ったのか。 反省会で交わされた当事者たちの議論を通して、「戦争責任」とは何か、「歴史」とどう向き合うかを考える。
きょうも、NHKスペシャル「海軍400時間の証言」についての感想。
組織防衛はどこの組織、部署でもあるだろうけれど、
犯罪に値するトップや幹部を組織ぐるみで守ろうとするのは、
利益追求が目的の私企業ならまだ許される面があっても、
国民の生命、財産を守るべき役所ではあってはならないだろう。
犯罪に値するトップや幹部を組織ぐるみで守ろうとするのは、
利益追求が目的の私企業ならまだ許される面があっても、
国民の生命、財産を守るべき役所ではあってはならないだろう。
薬害エイズ事件でも、ファイルを隠したか、存在を積極的に公表しなかったとか、
隠ぺい工作まがいのことがあった。
隠ぺい工作まがいのことがあった。
厚生省元課長有罪確定へ=官僚不作為「責任免れぬ」-薬害エイズ上告棄却・最高裁
2008年3月4日17時32分配信 時事通信 薬害エイズ事件で、エイズウイルス(HIV)に汚染された非加熱血液製剤の回収を怠り、投与された患者を死亡させたとして業務上過失致死罪に問われた元厚生省(当時)生物製剤課長松村明仁被告(66)について、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は4日までに、「省内で非加熱製剤によるエイズ対策の中心的立場にあり、必要十分な対応を図る義務があった。責任を免れない」とし、上告を棄却する決定をした。禁固1年、執行猶予2年の有罪とした一、二審判決が確定する。 必要な措置を怠った「官僚の不作為」の刑事責任を最高裁が認めたのは初めて。同事件は1996年8月の立件から11年半を経て、すべての刑事裁判が終了する。決定は3日付。
薬害エイズ事件、松村被告に有罪、重い職責、怠慢を断罪
―「帝京大」は過失否定
日本経済新聞 09/28/2001 薬害エイズ事件で元厚生省生物製剤課長、松村明仁被告(60)に有罪を言い渡した二十八日の東京地裁判決は、エイズウイルス(HIV)感染の危険性が高い輸入非加熱血液製剤の回収など被害防止策を取らなかった行政の怠慢を断罪した。しかし、元帝京大副学長を無罪とした三月の地裁判断に沿う形で、帝京大ルートの患者死亡については、松村被告の過失責任を否定。戦後最大の薬害事件の被害者らはこの日の判決を評価する一方で、複雑な思いを抱いた。(1面参照) 松村被告の裁判は、行政がなすべきことをしなかった「不作為」について、官僚個人の刑事責任が初めて問われたケースだけに、司法判断が注目されたが、東京地裁は、エイズ対策を実質的に決定する立場だった松村被告の職責を重くとらえ、刑法上の注意義務を怠った過失を認めた。 日本では1960年代から70年代にかけて、サリドマイド、スモン、クロロキンなどの薬害事件が繰り返されたが、いずれも官僚の刑事責任は問われなかった。判決も「一般的に、行政担当者の業務上過失罪の成立が直ちに肯定されるわけではない」と言及しており、組織の中での個人の不作為を刑法上、認定する困難さを物語る。松村被告を有罪とした判断の一つに、エイズ対策における当時の厚生省内の生物製剤課の位置づけや、松村被告に権限が"一極集中"する特別な状況だったことがあった。 判決は、86年四月の時点で、安全な加熱血液製剤が承認され、現実に国内の必要量全体をまかなえる量に達していたことを把握し、HIV感染の危険性を相当程度に予見できたにもかかわらず、従来の薬害行政の方針を変えず、非加熱製剤の扱いを製薬会社にゆだね、回収や販売中止措置を怠ったことを認定した。 当時の緊迫した状況に照らせば、松村被告の職責はもはや抽象的レベルにとどまらず「注意義務は具体化していたのに、HIV感染を極力防止する配慮に欠けた」と踏み込んだ判断を示し、「官僚の不作為」を初めて断罪した。 判決は、ミドリ十字の販売方法が虚偽宣伝を伴い異常だったこと、肝臓病患者に治療上不可欠ではない非加熱製剤を用いた医師にも問題があったことは認めた。ただ、こうした不幸な事情が重なったとしても、松村被告が非加熱製剤を放置したことで「危険が醸成し、現実化した」と指摘、率先した行動をとらなかった被告の対応を批判した。 一方で、帝京大ルートの死亡患者の責任を巡っては、検察側主張を退けた。旧ミドリ十字の歴代三社長を実刑に、元帝京大副学長、安部英被告を無罪としたこれまでの二つの一審判断を踏まえれば、この日の東京地裁判決は、ある程度予想されたともいえる。 しかし、「官・業・医」の複合過失による戦後最大級の薬害事件の構図を解明する場として、裁判の行方を見守ってきた被害者らにとって、割り切れなさを残す結論となった。 【表】薬害エイズ事件関連年表 【1983年】 6月 厚生省がエイズ研究班(班長・安部英被告)を設置 【1984年】 3月 エイズ研究班の最終報告で非加熱製剤主体の治療継続を決定 7月 松村明仁被告が厚生省生物製剤課長に就任 9月 安部被告が米国立ガン研究所のギャロ博士に依頼した血友病患者48人の検体の検査で23人のHIV感染が判明 11月 厚生省エイズ分科会で栗村敬・鳥取大教授(当時)が血友病患者27例中6例が抗体陽性と報告 【1985年】 5月 厚生省、帝京大の初症例含む血友病患者のエイズを初めて認定 5―6月 安部被告が科長の帝京大第一内科で血友病患者に非加熱製剤を投与 7月 厚生省、加熱第8因子製剤を承認 12月 厚生省、加熱第9因子製剤を承認 同 中央薬事審議会の調査会で「加熱製剤承認後は非加熱製剤は可及的速やかに回収を」と要請 【1986年】 4月 ミドリ十字が出荷した非加熱製剤を大阪府内の肝臓病患者に投与 6月 松村被告が生物製剤課長から転出