広州体育学院をぐるっと見終わって、南門前の天河北路からタクシーに乗り、次は南越文王墓がある西漢南越王博物館に行きました。


あすかのたび


中国歴史に明るくありませんので詳しい説明はできませんが、南越国の王の墓ということです。「越」とはベトナムのことを指しますので、漢族が中原から南下するまではここら辺りに現在のベトナムの人たちとこの近辺に残った人たちと共通の祖先が都を構えていたのでしょう。


あすかのたび


日本語でグッズを売っていた人の説明では、「それはそうでしょうが、王は北の方から来ました」ということでしたが、「???」で、漢族に都合のいいように言っているのではないかと思いました。


あすかのたび


そう言えば、この広州に来て街中でも、北方中国人のように見上げる人は少なく、平均をとってみると、こちらよりも低いように見受けられました。


あすかのたび 三彩陶器


あすかのたび これが王墓の遺構です。


あすかのたび 下にこういう石室があります。


あすかのたび 文帝印


あすかのたび こういう遺体だったようです。


あすかのたび


博物館から出ると、もう2時半を過ぎていました。「食在広州」の本場の何かうまいものでも食うべく、玄関脇のレンガの上に旅行本を出して広州のレストランガイドのところを見みると、館内の広東料理の老舗として展示にも出てきた「北園酒家」があって、その場所を探していると、館に入ろうとした紳士に「これからどこに行かれますか?」と丁寧な日本語で聞かれました。


これこれと事情を説明しますと地図に「ここの辺りですよ。」と示し、「歩くには距離がありますので、10元もかからないでしょうからタクシーで行かれたらいいですよ」と教えてくださいました。


商売人のような即席日本語ではなく、格調を持ったものでしたので、
A:「日本語がお上手ですね。どちらで習われましたか?」とうかがうと、
先生:「東京大学です。留学して勉強していました」
A:「そうですか、どうりで・・・」と驚きました。
先生「私は博物館のものですが、間もなく東京大学の○○教授と共著で論文を発表する予定になっています」(名前は忘れました)
A:「そうですか。王墓の保存は立派な方法をとられているようで、感服しました」
先生「ここの保存が確立したときには、日本にも驚きを与えたと思います。こういう方法が今後広がっていくと思います」


丁寧なお礼を申し上げてお別れしましたが。この方はおそらく館長クラスか、あるいは上級キューレータだろうと思いました。こういう話ができて豊かな気持ちになりました。