こんにちは
昨日の雨もすっかり上がって、いいお天気になりました。
さて
29日(土)に、私は眼科へ行ってきました。
まあ、、、ある程度覚悟して。
やっぱり、白内障が進んでいました。
以前から、その兆しはあったのですが、急にモヤモヤしてきたので、
行ってみたら、案の定でした。
急ぐなら、入院して手術できる病院を紹介してもらうか、
来年の2月末まで待てるなら、その眼科で日帰り手術か、
の選択で、今の生活状況からして、日帰りを選択して、
来年までしばらく我慢することにしました。
私の白内障は、アトピー性白内障で、子供の頃から使ってきた
ステロイドや、目をかいたり、急な脱ステをしたりして、
いろいろ負担をかけてきたので、そんな影響からくるものみたいです。
今回は右目ですが、左目の手術は、すでに約20年前くらい?
20歳半ばでしていて、眼内レンズが入っているのです。
左から、右に至るまで、結構時間がありました。
今回は、一度手術の経験もしているし、私自身
心身ともにもたくましくなってるし、
医学も進んで、日帰りでできちゃうんだから、
「どすこい」精神で、あまり気負ってないです。。。
とにかく、クリアーな視界が戻ってきてほしいです。
でも、あのとき24、25歳??の私には、かなりキツかったな。。。と
久々に思い出してしまいました。
子供の頃からのアトピーも治らずに、ひどくなるばかりで、
急な脱ステをしました。
一応、先生と相談しながらでしたが、まあ、、、つらいものでした。
頭から、足の先まで、ジクジクとなり、何回も皮がめくれて、、、
だんだん視力も落ちたと思っていたら、白内障になり、手術になりました。
当時は、まだアトピー性白内障なんて珍しくて、
同じ病室のおばあちゃんたちは、みんな、驚き、若い私を気の毒に思ってくれました。
そのときの私は、本当に気持ちも体もボロボロで、ひねくれていて、氷のように冷たく、頑なな心でした。
20代半ばなんて、周りはみんな、キラキラしていて、働いたお金で好きなように生活していて、
女友達は、みんなきれいに輝いて見えた。
何を恨むでもないけれど、もう、自分自身がいやだったのです。
だから、手術の恐怖も、痛みはなかったように思うけれど、、、
そういうことは、一切覚えていなくて、
要するに、「なげやりな気持ち」で手術を受けたのです。
家族がどんなに心配してくれているか、、、
そんな思いを入れておく、心の隙間さえなかった。
一週間以上入院してたかな、、、
体の負担はないので、暇なおばあちゃんたちの話相手に付き合い、
折り紙とか折って遊んで、、、おばあちゃんギャグ聞いて、、、
看護士さんも、とてもやさしくて、あの病棟には若い女の子が珍しかったのか、
24、5歳の私のことをいつも
「なおこちゃん♪」と呼んでくれていました。
本当に、温かく、やさしい看護士さんたちでした。
母も、病院食が苦手な私に、毎日電車で通って、母が作ったお弁当を届けてくれました。
そうやって、周りの人のやさしさに触れ、私の氷の心もしだいに溶かされていきました。
笑顔で退院し、気持ちも新たに、職場にも帰りました。
予備校の事務や進学担当をしていた私は、
あの看護士さんの影響を受けて、生徒に対する姿勢も変えていきました。
看護士さんが私に接してくれたように、生徒と接するようにしました。
生徒も、私も、変わっていきました。
生徒とかかわる仕事が大好きになってきました。
あるとき、教員室で先生方とお話をしていて、
英語科の先生だったかな、、、
「今度、家内が白内障の手術をするんだよ」とおっしゃって、
何度か、心配は要りませんよと色々説明してさしあげたのを覚えています。
その後も、予備校の何人かの「おじいちゃん先生」に、そんなお話をしました。
先生方は、
「初めてのことで、最初はとても不安だったけど、
あなたから先に話を聞いていたので、リラックスして手術を受けることができましたよ。」
と、みんなそれぞれに言ってくださいました。
その先生方も、いまはもう天国におられます。
人生の大、大、先輩が、あのとき、ひよっこだった私の言うことをそのまま聞いて、受け取ってくださり、
そして、「たすかったよ、ありがとう。」と言ってくださった。
恥ずかしいやら、なんやら、で、頭が上がりません。。。
でも、ほんの一瞬でも先生方は、手術のとき安心してくださった。
私も、先生方の長い人生の一瞬に携わらせていただくことができた。
本当に、本当に、ありがたいです。
いま、カウンセリングの勉強をしているのも、原点は、あの頃のボロボロだった私かもしれません。
ボロボロも、誰かのお役に立てるように、変わっていけるんだ、と、強く感じたからかも知れません。
そのときはつらいけど、つらいことばかりでもない。
時間はかかっても、evenに、バランスがとれるときがくる。そう信じていたいです。
いま、見えにくい右目はつらいです。
でも、来年の手術が済めば、この右目の役割もきっとでてくるはず。
左目が、様々な経験を通して、いまの私を支えてくれているように。
Naoko