そんなこんなで、ワケのわかんないうちに朝になりました。
本来は、帝王切開でも翌日には母子同室になる病院なのですが、子どもは生まれてすぐに入院になりました。
やっぱり、あれだけのハイリスク妊婦が生んだわけですからね。。。

この話は、退院時のDr.の指導により他言無用なのです。
なぜかというと、そのことを聞いた人は必ず詮索をし、さらに偏見を持つので云う意味がないんだそうです。

なのでその後のどこで聞かれても《正常分娩》の《大病なし》《入院なし》で通しています。
もっとも、母子手帳見ればわかる人には分かるわけで、わかる人は正しい知識が有るから偏見も無いんでいいんですけどね。



さてさて。話は戻って。。。。リハビリです。
お腹を切った翌日に保育なんて出来るのか?って思いませんか?
私もびっくりしたんですけど、できるんですね~~~~~

生まれて直ぐに子どもの体はきれいに看護師さんがしてくれます。
私のお腹を閉じたら私はそのベットに横になったまま子どもが居る部屋に運ばれるんです。
で、私のベットの枕元に子どもを寝かしてくれるの。

おーーー!!そこまでするか?! って感じですが、母乳も初乳ってスペシャルドリンクを私があげるんですよーーー
不思議ですよね。
胎盤が無くならないと、初乳は出ないシステムになってるんだと42歳でめて知りました。
漫画やTVでは、子どもが生まれる前にマッサージとかして準備するとかありますが。。。。じゃん!!!

で、翌日から沐浴です。朝の4時だったかな~
外はまだ暗かったですが、朝の授乳の前に沐浴指導があるんです。
私・・・・歩けないじゃないですか!!!!




なもんで「赤ちゃんがお母さんを待ってるから会いに行きましょう~」にリハビリが始まるんです。

リハビリ1日目(オペ翌日)の目標が800M歩行!!!


でもね。。。。正直いうと、一歩も歩けませんよ

人間の体ってうまく出来ているんだと感心しましたが、腹筋が一部切れただけで、《立つ》という些細な動作ですら、「どうやったら立てるのか?」って考え込むほど難しい動作になるんです。
普通に思っただけでは最初の一歩も、出ませんよ



私。。。その時に考えたんですけど、

私が産んだ子もこうやって座って。立って。歩いてと苦労しながら頑張って出来るようになっていくんだな~~

って思ったら、廊下を歩いていました。
子どもが愛おしくてたまらなくなりました。
【生きる】ってことは苦労ばかりになるんだけれど、素晴らしいこともあるわけで。
死ぬために人間は生きているんだけど、死亡率100%の人間の生ってのは素晴らしいと私は感じるから【産んだ】わけでね。
そんな私の価値観の下で【生きる】事を、私があの子に強要してあの子は生まれてきたわけで。。。。
ここで私が痛いからといって、楽に寝ていては申し訳ないと思いました。

あの子に、生きることを望んだ私には、あの子以上に頑張る義務があるんじゃないかと。。。。
それが、親の責任であり。。。。『できた』子ではなく、できないところを無理に無理を重ねて『授かった』奇跡への感謝なのではないのかと・・・・

看護師さんが驚いて飛んできましたが、そのままお願いして子どもの病室まで行きました。

リハビリはね。。。。気力なのかもしれません。
希望かな?

「子どもに会いに行く」それが無ければ私は立てなかったような気がします。










あ・・・・きれいにまとめてるわけじゃないですよ。

マジ!!!いですから!!!!!

点滴の棒を杖にして歩くんですけど、下にはまだ管も入っているし、下腹部は切ってあるから違和感はあるわけでね。
足はしびれていて、正座のあとのような足裏のボワンとした感覚で歩くって。。。

髪の毛はバサバサで艶なんてどっこにも無いし。
入院でカラーできないから白髪は出てきてて老けちゃってるし。
肌なんてカサっカサのゴワゴワで。。。。

人には見せれないくらいの格好ですよ。
落ち武者が貞子か。。。どっちにしろ、m(-_-m)~ ウラメシヤー

帝王切開でないお母さんもいるわけだしね。
羞恥心はあるわけで・・・・でも、行ったんだよね~~~~
ええかっこシーの私がね



そんなこんながブッ飛ぶくらいに子どもに会いたいと思う理由は情ではないんだと私は思います。
なぜならその時の私とその子はまだ、何も親子の交流がない時期だったわけですから。

だけどただ、会いたかった。。。。それは、何なのかな?