ブログや書籍として、まとめて文章にして意見をまとめていない人、あるいは「文章にして簡潔にまとめて」と言っても応じない相手とは一切議論しない理由。 

 

まとめて文章にすることは、 

・正しく根拠を書く

・矛盾なく一貫性を保つ

・読み返して誤りに気付く

・他人に晒すことで洗練する

といった効果がある。

 これをしていない人の「思い付き」は、本当にレベルが低いことが多い。

 

世の中の様々なこと(数学、情報科学、投資、政治経済、哲学等にとどまらず、最新の様々な知、例えば複雑系の考えや行動遺伝学等々)についてよく触れて学び、それらについて独自の考えをまとめ、文章化(あるいは定式化、プログラムで実装)して公開し、思想を磨きまくる。それをひたすらくり返す。

これはいやしくも「大学を卒業した」というレベルの人であれば、インターネットが普及している現代なら、必ず経験しておかなければならない。

 

例えば大学受験の数学もそうで、問題を読む、答案を考える、模範回答を見て自分を正していく、ひたすらこの繰り返しによって上達するのであり、繰り返しているうちに「即座に正しい答えが頭に浮かぶ」ように暗黙知的な知が身についていく。この作業を一切していない人間は数学ができない。

「物事を正しい前提から正しく推論し、上手に表現すること」だって、これと全く同じだ。

 

もしも斬新で、一貫した主張などをブログに書いて公開していたなら、普通は出版社から「ウチから本にしませんか」という話が来るものだ。

それが来ていないのは、とてもツイていないだけの可能性もあるが、文章がちゃんとしていないとか、そもそも意見がおかしいとか、あるいは低レベルである可能性がある。

 

例えばこういった文章を書いていると、「他人が不快に思う発言をするな」とか「えらそうにするな」と言う人がいる。

なぜ不快にさせてはいけないのか、実際にある程度えらい相手がなぜえらそうにしてはいけないのか。

真面目に考えて文章にしていたら、そんな変な発言が出てくるはずがないのだ。

そのような発言がいかに不適切かについては、私が本の中で嫌というほど指摘している。

既に「相手がどのように間違いやすいか」私によって予想され済みの間違ったことを言ってくるな。

 

「本すら出していないくせに、かつ、私の本も読んでいないレベルで、ゴチャゴチャしょうもないことを言うな。文句があれば紙面や、反論可能なブログとかに1400字程度で簡単にまとめろ」と上から目線で言うのは、ただの煽りでも何でもなく本心だ。

それすらしていない程度のレベルと話しても意味がないからだ。

また、本当にキチンと考えたことなら、1400字程度でまとめるなど、ごく一瞬でできることだからだ。

(たった1400字に出力することすら「面倒くさい」「できない」というなら、それは「その水準でしかない」ということ)

私が自著内で完全に説明済のことをあーだこーだ言ってくるレベルを相手にするのは時間の無理だ。

 

バカであることは罪だ。

バカがバカを自覚していないのは罪だ。

無知の無知だ。 

何の努力もせず、学校の勉強すらせず、思想書も読まず、多くの他者の知に触れず、文章にもまとめず蒙昧な精神状態のままに生きてきたのにもかかわらず、なぜか、それらの経験をきちんとこなしてきた人と同じ程度に何事かを判断できるようになった「判断力の高い」自分が存在し、「自分はそれほど頑張ってこなかったが」という注釈をつけながら相手と「対等に」語ろうとする。

こうした人々をオルテガは「大衆」と呼んだ。

 

以上から、私は大衆とは一切議論しない。

 

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