これはいつかどこかで発展させて使おう。単なるメモ。

 ある種の能力が欠落することにより獲得できる別の能力、というものが想定できる。相当簡単な例では、共感能力の欠如とともに、極めて残虐な拷問器具の発明ができるし、卑近な例では、女性の脳が論理性をいささか持たないために、逆に感情的に豊かであったりする。それは単純に、現実である。

 かのロラン・バルトが「記号の帝国」と呼んだ日本語という言語を持つ我が国においては、まさしく言語が極めて構造的であるのと同様、脳構造あるいはそれに基づく「能力」なるものは、本来このように大変構造的な何かではなかろうか。能力のベクトルを放り込んで相関係数を取るくらいやってみたい。

 つまりしばしば平均人によって「あの人は能力が高い/低い」「頭が良い/悪い」といったように平易に二元論のもとに語られる各種の対象が、実は2変数において正にあるいは負に強く相関する別々の「能力」「頭の良さ」を表している可能性は大いにあるのだ。