(おれのwiki『名言と愚行に関するウィキ』の記事より)
霞むように遠い昔の断片的な記憶の中にも、特権的に保持され続ける印象的な場面がいくつかあるものだ。私にとってそれは例えば、幼稚園の2階の廊下に理不尽に放置された積み木を、同園児が踏みつけて転び泣き出してしまった際に、彼に対して「くやしかったらボクを叩いていいから」と言ってみたことがそうである。あるいは、小学1年生の頃、祖父が亡くなった数日後に、母親に向かって「さっきな、畑でおじいちゃんが見えて、おじいちゃんって呼びかけたら消えた」と言ったこともそうである。これらが今でも鮮明に思い起こされるのは、自分が取り立てて慈悲深かったからでも、稀有な神秘的体験をしたからでもない。「この場面では、こういうことを言うと、良いのではないか」といったような確信じみた気持ちを幼心に感じながら、特に自分が望みもせず、体験してもいない単なる「嘘」を吐いたからなのである。
自分にとってそれらは、明らかに「自然には出ない」はずの言葉だった。何かわざわざしかるべきものを用意してきて、これをこの場面で投げ出すと褒められるのではないか、気を引けるのではないかというつながりを、薄々感じながら行動したまでのことだったのである。自分の「自然な」感情とは途方もなく程遠い言葉を並べる行為に対する、今思えば一種の猜疑心のようなものが、おぼろげながら自分の中に生じているのを、不思議な冷静さとともに感じたものだった。
幼い子供の取るに足りない嘘だけに限らず、私たちは生活の中で、この種の「不自然な」言葉の体験を繰り返し生きることになる。
とかく不気味に感じられた学級会での討論や、道徳の時間の生徒の返答を思い出すと良い。「別に、部落差別は自分と関係ないからどうでもいい」という一番ありそうな意見は決まって語られず、その代わりに「本人の努力と関係ないのに、生まれで人を判断するのはよくないと思います」などという誰のものでもない意見が、妙な感動につつまれながら語られ、まるで部落差別が、はなから誰の得にもならなかったかのように処理される様子は何だったのか。
同様に、会社の採用面接や事故被害者遺族へのインタビューもまた、私たちが生きる上での現実とは著しく乖離した「暗黙に用意された返答」を口にするための儀式と化している。「御社が業界で着実な実力を伸ばしてきた」ことや、「自分がステップアップできる」ことが平均的な大学生の「御社を志望した動機」とやらを表すはずがない。およそ志望動機に「正解」があると仮定できるならば、「あまり、ありません」がそれだろう。「夫が死んで、少し悲しいけれど、どちらかというとほっとしました」と感じる妻がこの世に存在しないことになっているのは、いかなる理由からか。
さて、酷く不自然な言葉が執拗に繰り返されるうちに、私たちはいつのまにかそれを「自然な」やりとりであるかのように錯覚しはじめる。ドラマや映画の登場人物の話しぶりは奇妙と言う他ないが、見慣れてくるうちに、自分の日常のそれとは一致しないまでも、「こういうものだ」と納得してしまう。「不自然」が「自然」に置き換わるわけである。
もしも、仮に今すぐ自分がドラマに出演するとしたならば、どうだろうか。誰に頼まれるでもなくこの「ドラマらしい」話しぶりを演じてしまうことになるだろう、という諦念めいたものを私たちは感じるのではなかったか。なぜそうでなければならないかが問われる以前に、そうであることを理由にそうしてしまうという行為の苦々しい愚鈍さを噛み締めながらも、かといって必ずしも不自然を暴いたり拒絶したりすることにさしたる意義を見出すことができないまま、万一問いただしたりするような機会があっても「みんなそうしているだろう」という返答しかこないのではないかと疑心を抱えつつ、「不自然」を気軽な形で受諾する自分の姿というものが目に浮かぶのではないか。
必ずしも年齢に相応しい能力を身につけているとは呼びがたい「大人」と呼ばれる人々が、幼い子供の発言や行為のあまりの突拍子もなさにしばしば驚かされる事実は、べつだん子供の奔放さや純真さを意味しているのではなく、むしろ私たちの常識的ないし日常的な「自然な」発言・動作といったものが、いかにある種の偏りへと向けられ、意味づけられた「不自然な」ものであるかを示している。事実、子供はとりたてて純朴ではなく、私が6歳の頃にしてみせたとおり、純真さと対極の各種の社会的適応を、人は物心がつく頃には既に開始しているのである。
かつて女性が哲学をすることは「なかった」ように、語る主体は、語りたがる主体であり、語ることが許される主体に他ならない。語ることを禁じられた主体こそが真実を持っていて、それだからこそ禁止されている、という事態がある。表層に顕在化する意見とその反対意見のいずれかが、ではなくて、沈黙している意見こそが真実ということが実際にある。
郵政民営化など別にどっちでもよい、という民意を代弁する政治家はどこにいるか。郵政民営化は「すべきか、すべきでないか」で判断しなければならないように感じ始める瞬間を、私たちは見逃してはならない。
あらかじめ用意されたある種の空間、ある種の関係、ある種の文脈において、特定の「語り方」が要請されることがある。主張や意味づけまでも規定されることがある。だからこそ、不自然な言葉、それも時として無様な言葉が、平然とまかり通ることになる。不自然であることが即座に悪であることと照応するかどうかは置いておくにしても、私たちはひとまず、そうしたものから自由であってよろしかろう。
霞むように遠い昔の断片的な記憶の中にも、特権的に保持され続ける印象的な場面がいくつかあるものだ。私にとってそれは例えば、幼稚園の2階の廊下に理不尽に放置された積み木を、同園児が踏みつけて転び泣き出してしまった際に、彼に対して「くやしかったらボクを叩いていいから」と言ってみたことがそうである。あるいは、小学1年生の頃、祖父が亡くなった数日後に、母親に向かって「さっきな、畑でおじいちゃんが見えて、おじいちゃんって呼びかけたら消えた」と言ったこともそうである。これらが今でも鮮明に思い起こされるのは、自分が取り立てて慈悲深かったからでも、稀有な神秘的体験をしたからでもない。「この場面では、こういうことを言うと、良いのではないか」といったような確信じみた気持ちを幼心に感じながら、特に自分が望みもせず、体験してもいない単なる「嘘」を吐いたからなのである。
自分にとってそれらは、明らかに「自然には出ない」はずの言葉だった。何かわざわざしかるべきものを用意してきて、これをこの場面で投げ出すと褒められるのではないか、気を引けるのではないかというつながりを、薄々感じながら行動したまでのことだったのである。自分の「自然な」感情とは途方もなく程遠い言葉を並べる行為に対する、今思えば一種の猜疑心のようなものが、おぼろげながら自分の中に生じているのを、不思議な冷静さとともに感じたものだった。
幼い子供の取るに足りない嘘だけに限らず、私たちは生活の中で、この種の「不自然な」言葉の体験を繰り返し生きることになる。
とかく不気味に感じられた学級会での討論や、道徳の時間の生徒の返答を思い出すと良い。「別に、部落差別は自分と関係ないからどうでもいい」という一番ありそうな意見は決まって語られず、その代わりに「本人の努力と関係ないのに、生まれで人を判断するのはよくないと思います」などという誰のものでもない意見が、妙な感動につつまれながら語られ、まるで部落差別が、はなから誰の得にもならなかったかのように処理される様子は何だったのか。
同様に、会社の採用面接や事故被害者遺族へのインタビューもまた、私たちが生きる上での現実とは著しく乖離した「暗黙に用意された返答」を口にするための儀式と化している。「御社が業界で着実な実力を伸ばしてきた」ことや、「自分がステップアップできる」ことが平均的な大学生の「御社を志望した動機」とやらを表すはずがない。およそ志望動機に「正解」があると仮定できるならば、「あまり、ありません」がそれだろう。「夫が死んで、少し悲しいけれど、どちらかというとほっとしました」と感じる妻がこの世に存在しないことになっているのは、いかなる理由からか。
さて、酷く不自然な言葉が執拗に繰り返されるうちに、私たちはいつのまにかそれを「自然な」やりとりであるかのように錯覚しはじめる。ドラマや映画の登場人物の話しぶりは奇妙と言う他ないが、見慣れてくるうちに、自分の日常のそれとは一致しないまでも、「こういうものだ」と納得してしまう。「不自然」が「自然」に置き換わるわけである。
もしも、仮に今すぐ自分がドラマに出演するとしたならば、どうだろうか。誰に頼まれるでもなくこの「ドラマらしい」話しぶりを演じてしまうことになるだろう、という諦念めいたものを私たちは感じるのではなかったか。なぜそうでなければならないかが問われる以前に、そうであることを理由にそうしてしまうという行為の苦々しい愚鈍さを噛み締めながらも、かといって必ずしも不自然を暴いたり拒絶したりすることにさしたる意義を見出すことができないまま、万一問いただしたりするような機会があっても「みんなそうしているだろう」という返答しかこないのではないかと疑心を抱えつつ、「不自然」を気軽な形で受諾する自分の姿というものが目に浮かぶのではないか。
必ずしも年齢に相応しい能力を身につけているとは呼びがたい「大人」と呼ばれる人々が、幼い子供の発言や行為のあまりの突拍子もなさにしばしば驚かされる事実は、べつだん子供の奔放さや純真さを意味しているのではなく、むしろ私たちの常識的ないし日常的な「自然な」発言・動作といったものが、いかにある種の偏りへと向けられ、意味づけられた「不自然な」ものであるかを示している。事実、子供はとりたてて純朴ではなく、私が6歳の頃にしてみせたとおり、純真さと対極の各種の社会的適応を、人は物心がつく頃には既に開始しているのである。
かつて女性が哲学をすることは「なかった」ように、語る主体は、語りたがる主体であり、語ることが許される主体に他ならない。語ることを禁じられた主体こそが真実を持っていて、それだからこそ禁止されている、という事態がある。表層に顕在化する意見とその反対意見のいずれかが、ではなくて、沈黙している意見こそが真実ということが実際にある。
郵政民営化など別にどっちでもよい、という民意を代弁する政治家はどこにいるか。郵政民営化は「すべきか、すべきでないか」で判断しなければならないように感じ始める瞬間を、私たちは見逃してはならない。
あらかじめ用意されたある種の空間、ある種の関係、ある種の文脈において、特定の「語り方」が要請されることがある。主張や意味づけまでも規定されることがある。だからこそ、不自然な言葉、それも時として無様な言葉が、平然とまかり通ることになる。不自然であることが即座に悪であることと照応するかどうかは置いておくにしても、私たちはひとまず、そうしたものから自由であってよろしかろう。