経緯から。
とある人物(ここでは、Xと呼ぶ)が、「ちーちゃん(人名)」の嘘に騙されて、おれを攻撃していた。
Xはその中で、おれがゆうちょ銀行の株を1万株買ったという話について触れ、株式用語を間違って使っていた(ついでに、おれが買った株数の情報、ゆうちょ銀行の単元株数なども全て間違っていた)。
そこで、おれはXに対して「ちーちゃんの嘘に騙されるなよ。あと、株式用語とか色々間違ってるぞバーカ」的に軽く反撃をした。
ところで、Xという人は、医者であり、「偏差値の高い人」だった。
おれはいつも「偏差値65未満はバカだ(から、そんなやつとは真面目にしゃべらない)」と公言していたため、ここでちーちゃんが食いついてきた。
「普段は偏差値65未満をバカだと言っているくせに、自分より偏差値が高い人にもバカと言っているだろ」、というわけである。
その会話の中で、ちーちゃんという人物が、本気で、高校1年生で習う「対偶」という概念を理解していないことがわかった。

このザマである。
「偏差値65未満ならばバカにする」はずのおれが、「偏差値65以上をバカにした」ことが、ちーちゃんにとっては「矛盾」なのだそうだ。
もちろん、論理学的にそのようなことはない。
命題「偏差値65未満ならばバカである(バカにする)」の対偶は、「バカにしない相手ならば、偏差値65以上である」である。そして、元の命題が正しければ対偶命題も正しい。
一方で、裏の命題である「偏差値65以上だからといってバカにしない」は正しくない。元の命題が正しくても、命題の裏は正しい推論にならない。
極端に言えば偏差値90の人をバカにしても、おれの命題と一切矛盾しない。
これは高校1年生の数学で習う。ちーちゃんは高卒のはずなのだが……。
低偏差値乙。
※以下、追記。
ところで、この記事を書いたあと、「ちーちゃん」が、本人のブログで、おれのことを色々と攻撃していたが、その中にこんな記述があった。
『対偶をとれとかドヤ顔で言ってるが、対偶をとる意味なんてこの会話において関係ないし まったく無意味だ。単に屁理屈でごまかそうとしてるだけ。
対偶をとる意味は 本来 数学における証明で利用するときに使うものであって、普段の会話にあてはめる必要はない。
たとえば 「偏差値65未満はバカであること」を証明しようとする場合に それが難しい場合に対偶をとって 「偏差値65以上であればバカではない」を証明すれば前者が証明できたことになるのだが、それは数学における証明の話である。』
(✶゚ฺちーちゃんなんだってぶぁのアメーバブログ、2015年11月22日(日)の記事「かる~く看破してやろう」より引用)
『「偏差値65未満はバカであること」を証明しようとする場合に それが難しい場合に対偶をとって 「偏差値65以上であればバカではない」を証明すれば前者が証明できたことになる』
だって。
それ、対偶じゃないから。「逆・裏・対偶」のうち、「裏」だから。
そして、「裏」が正しいと証明しても、当初命題が証明できたことにならないから。
高校1年で習ったよね? 偏差値50くらいある人は理解してたよね?
そこにおれはつっこんでるわけ。
「屁理屈で」「ごまかそうとしている」のではなくて、数学の初歩において、思考回路が、もう完全に間違っているから、ちーちゃんは、普段の会話でも意味わからないことを言ってしまっている。例えば足し算引き算ができないと、まともに思考できないのと同じことである。
おれが貼り付けた会話で、ちーちゃんとおれの対話がすれ違っているのは、まさに、おれの命題から、ちーちゃんが「(ちーちゃんの言う)『対偶』をとって」→「偏差値65以上であればバカではない」と誤認してしまったからこそなのである。
これは単なる「あげあし取り」などというレベルではない。完全に誤解しており、その誤った理解のうえで生きてきたことを意味している。
つまり、ちーちゃんがマジで数学を知らず、バカであるがゆえに、「偏差値が高い人をバカと呼んだ東北が間違い」「屁理屈でごまかしている」と勘違いし、会話が成立しなかったのだ。
このような論理的誤謬は、普段のちーちゃんの会話で常に、頻繁に起きる。
たまたま今回勘違いした、程度とは明らかに違う。
ちーちゃんがおれに対して「車の免許証も持ってないの?」等と絡んでくるときも(持っているのだが)、「とつげきは車の免許証すらとれないww」と結論付ける。「(免許を)持てないならば、持っていない」は正しいが、その逆の「持っていないならば、持てない」は誤りだ。だが、ちーちゃんにとっては逆も裏も対偶も同じようなものだから、この逆の論理を無意識のうちに支持してしまうのだ。あるいは、「証拠が出せないということはウソってことだよな?」等の推論をいつもしている。残念ながらこれも、「ウソならば証拠が出せない」とは言えても、「証拠が出せないならば、事実ではない(ウソである)」とはならない。
誤った論理を使い、真の命題の裏や逆は真だと考えて生きてきたがゆえに、頭の中がぐちゃぐちゃになっており、何一つ正しいことが言えなくなっているのである。
おれが、ちーちゃんに絡まれても、「なんでこいつ論理的に話せないんだ」とツッコんで放置するのは、ちーちゃんの思考回路が、本気でこうした初歩数学的な間違いを毎回毎回起こすからなのである。驚くべきは、「対偶をとる意味は 本来 数学における証明で利用するときに使うものであって、普段の会話にあてはめる必要はない」等と考えていることである。全然違う。
普段、まともに何かについて思考したり、他人と会話するとき、我々はほぼ無意識に、大量の推論処理を行っている。当然だが、正しい命題の逆・裏は必ずしも正しくなく、対偶は正しい、といったことも頭にしっかり入っている。まともな人は。
やはり、偏差値65未満のバカとは会話できないものなのだ。
日常会話にすら支障をきたす低偏差値乙。
※以下、後日談。
ちーちゃんがおれにまた難癖をつけてきたので、おれのブログを広場のみんなに宣伝した。

さっそく、何の根拠もなく、「1,437人が見た」ということを、「ウソ」などと言って否定している。
どこにも、どんな論理も根拠もない。単なるウソでしかない。まさにバカである。
ちなみに1,437人が見た証拠は、以下のとおり。

嘘つきのバカが。
※証拠保全のためのweb魚拓 http://megalodon.jp/2015-1122-1419-03/ameblo.jp/sexy05070/entry-12098313297.html
※ちなみに、おれが「(河合塾、代ゼミの)偏差値65未満はバカ」と言うのは本心だけど、だからといって本気で全ての偏差値65未満と話さない、付き合わないわけではない。55くらいあれば、なんとか会話ができる人もいるものだ。
とある人物(ここでは、Xと呼ぶ)が、「ちーちゃん(人名)」の嘘に騙されて、おれを攻撃していた。
Xはその中で、おれがゆうちょ銀行の株を1万株買ったという話について触れ、株式用語を間違って使っていた(ついでに、おれが買った株数の情報、ゆうちょ銀行の単元株数なども全て間違っていた)。
そこで、おれはXに対して「ちーちゃんの嘘に騙されるなよ。あと、株式用語とか色々間違ってるぞバーカ」的に軽く反撃をした。
ところで、Xという人は、医者であり、「偏差値の高い人」だった。
おれはいつも「偏差値65未満はバカだ(から、そんなやつとは真面目にしゃべらない)」と公言していたため、ここでちーちゃんが食いついてきた。
「普段は偏差値65未満をバカだと言っているくせに、自分より偏差値が高い人にもバカと言っているだろ」、というわけである。
その会話の中で、ちーちゃんという人物が、本気で、高校1年生で習う「対偶」という概念を理解していないことがわかった。

このザマである。
「偏差値65未満ならばバカにする」はずのおれが、「偏差値65以上をバカにした」ことが、ちーちゃんにとっては「矛盾」なのだそうだ。
もちろん、論理学的にそのようなことはない。
命題「偏差値65未満ならばバカである(バカにする)」の対偶は、「バカにしない相手ならば、偏差値65以上である」である。そして、元の命題が正しければ対偶命題も正しい。
一方で、裏の命題である「偏差値65以上だからといってバカにしない」は正しくない。元の命題が正しくても、命題の裏は正しい推論にならない。
極端に言えば偏差値90の人をバカにしても、おれの命題と一切矛盾しない。
これは高校1年生の数学で習う。ちーちゃんは高卒のはずなのだが……。
低偏差値乙。
※以下、追記。
ところで、この記事を書いたあと、「ちーちゃん」が、本人のブログで、おれのことを色々と攻撃していたが、その中にこんな記述があった。
『対偶をとれとかドヤ顔で言ってるが、対偶をとる意味なんてこの会話において関係ないし まったく無意味だ。単に屁理屈でごまかそうとしてるだけ。
対偶をとる意味は 本来 数学における証明で利用するときに使うものであって、普段の会話にあてはめる必要はない。
たとえば 「偏差値65未満はバカであること」を証明しようとする場合に それが難しい場合に対偶をとって 「偏差値65以上であればバカではない」を証明すれば前者が証明できたことになるのだが、それは数学における証明の話である。』
(✶゚ฺちーちゃんなんだってぶぁのアメーバブログ、2015年11月22日(日)の記事「かる~く看破してやろう」より引用)
『「偏差値65未満はバカであること」を証明しようとする場合に それが難しい場合に対偶をとって 「偏差値65以上であればバカではない」を証明すれば前者が証明できたことになる』
だって。
それ、対偶じゃないから。「逆・裏・対偶」のうち、「裏」だから。
そして、「裏」が正しいと証明しても、当初命題が証明できたことにならないから。
高校1年で習ったよね? 偏差値50くらいある人は理解してたよね?
そこにおれはつっこんでるわけ。
「屁理屈で」「ごまかそうとしている」のではなくて、数学の初歩において、思考回路が、もう完全に間違っているから、ちーちゃんは、普段の会話でも意味わからないことを言ってしまっている。例えば足し算引き算ができないと、まともに思考できないのと同じことである。
おれが貼り付けた会話で、ちーちゃんとおれの対話がすれ違っているのは、まさに、おれの命題から、ちーちゃんが「(ちーちゃんの言う)『対偶』をとって」→「偏差値65以上であればバカではない」と誤認してしまったからこそなのである。
これは単なる「あげあし取り」などというレベルではない。完全に誤解しており、その誤った理解のうえで生きてきたことを意味している。
つまり、ちーちゃんがマジで数学を知らず、バカであるがゆえに、「偏差値が高い人をバカと呼んだ東北が間違い」「屁理屈でごまかしている」と勘違いし、会話が成立しなかったのだ。
このような論理的誤謬は、普段のちーちゃんの会話で常に、頻繁に起きる。
たまたま今回勘違いした、程度とは明らかに違う。
ちーちゃんがおれに対して「車の免許証も持ってないの?」等と絡んでくるときも(持っているのだが)、「とつげきは車の免許証すらとれないww」と結論付ける。「(免許を)持てないならば、持っていない」は正しいが、その逆の「持っていないならば、持てない」は誤りだ。だが、ちーちゃんにとっては逆も裏も対偶も同じようなものだから、この逆の論理を無意識のうちに支持してしまうのだ。あるいは、「証拠が出せないということはウソってことだよな?」等の推論をいつもしている。残念ながらこれも、「ウソならば証拠が出せない」とは言えても、「証拠が出せないならば、事実ではない(ウソである)」とはならない。
誤った論理を使い、真の命題の裏や逆は真だと考えて生きてきたがゆえに、頭の中がぐちゃぐちゃになっており、何一つ正しいことが言えなくなっているのである。
おれが、ちーちゃんに絡まれても、「なんでこいつ論理的に話せないんだ」とツッコんで放置するのは、ちーちゃんの思考回路が、本気でこうした初歩数学的な間違いを毎回毎回起こすからなのである。驚くべきは、「対偶をとる意味は 本来 数学における証明で利用するときに使うものであって、普段の会話にあてはめる必要はない」等と考えていることである。全然違う。
普段、まともに何かについて思考したり、他人と会話するとき、我々はほぼ無意識に、大量の推論処理を行っている。当然だが、正しい命題の逆・裏は必ずしも正しくなく、対偶は正しい、といったことも頭にしっかり入っている。まともな人は。
やはり、偏差値65未満のバカとは会話できないものなのだ。
日常会話にすら支障をきたす低偏差値乙。
※以下、後日談。
ちーちゃんがおれにまた難癖をつけてきたので、おれのブログを広場のみんなに宣伝した。

さっそく、何の根拠もなく、「1,437人が見た」ということを、「ウソ」などと言って否定している。
どこにも、どんな論理も根拠もない。単なるウソでしかない。まさにバカである。
ちなみに1,437人が見た証拠は、以下のとおり。

嘘つきのバカが。
※証拠保全のためのweb魚拓 http://megalodon.jp/2015-1122-1419-03/ameblo.jp/sexy05070/entry-12098313297.html
※ちなみに、おれが「(河合塾、代ゼミの)偏差値65未満はバカ」と言うのは本心だけど、だからといって本気で全ての偏差値65未満と話さない、付き合わないわけではない。55くらいあれば、なんとか会話ができる人もいるものだ。