フィギュアスケート妄想・新宝島

フィギュアスケート妄想・新宝島

♪このまま君を連れて行くよ~
連れて行かれるのは髙橋大輔さん?村元哉中さん?

髙橋大輔選手が何をしてきたというんだ?みたいな言葉を見かけたことがある。
フィギュア男子シングルにおける日本人初・アジア人初の五輪メダリスト、それだけで十分立派だろうに。ただ言った人からすれば、金メダリストがいる以上、たいした実績ではない、という感じだったんだよなあ。
まあ見かけたのが数か月前なので、正確には覚えていない。実は私の方が意味を取り違えている可能性も十分ある。

ただこの言葉を覚えているのは、私は逆の意味で、髙橋大輔選手はただ五輪メダルを獲っただけの人ではないと思ったからである。
彼がしてきたことはそれだけではない。そのことをどう語ればいいのか、それから考えてきた。
どうせ「髙橋大輔選手の実績なんて~」という人達は、どう語ろうと聞きはしないだろう。ただ聞く耳がありそうな人に、私が思っているイメージをどう伝えればいいのか、それを考えていた。

コーヒー

嚢中の錐という言葉がある。突出した才能と言うのは、なんだかんだ成果を挙げてしまうものである。
東京の勢力が強かった(らしい。山田コーチによると)日本のフィギュア界で、名古屋に生まれ育った伊藤みどりが五輪メダルにたどり着いたように。
髙橋大輔選手が何をしてきたというんだ?と語る人、つまり羽生くんのファンや贔屓の人たちは、髙橋大輔選手なんて先人がいなくても羽生くんは五輪で勝利したさ、と思っているからそういう言葉が出るんだと思う。
そして私も、五輪メダルを獲った先人がいなくても、そして時代状況がどうあろうと、羽生選手は五輪金メダルを一度は獲っただろうな、と思っている。
「え、失礼ね、二連覇するわよ。」とファンや贔屓の皆さんは思うかもしれないが…例えば羽生選手が19歳のとき、バンクーバー五輪のようなルールだったら?四回転ジャンプはハイリスクローリターン・ステップは二種類、そういうルールで、体力面が弱くリンクカバー率も少なめの羽生選手が勝てたかどうかは正直分からないんじゃなかろうか。
ただ、羽生選手は高い修正能力があるので、逆風ルールでも複数回五輪に行けば勝利しただろうなと思う。

しかし一方で、突出した才能が一つ出てきても、競技の様相というのは変わらないものである。
これまた伊藤みどり選手を例に出そう。彼女がトリプルアクセルを跳んでも、そのジャンプは女子シングルの目指すべき「標準」にはならなかった。あれは特別なジャンプであり、跳ぶ選手はすごいが、トップ選手が「装備しなくてはならない」と思うようなジャンプではなかった。
何人もの選手が跳ぶようになり(あるいはそれ以上高難度と思われる四回転ジャンパーが複数人出てきて)、初めて「競技で勝つ戦略として装備するジャンプ」と見なされるようになったのだ。
競技の様相を変えるには、複数の選手が必要なのである。嚢中の錐一本ではだめなのだ。



髙橋大輔選手がしてきたこと。それは長く、アジア系選手として競技のトップレベルに居続けたこと。
そして同じくアジア系の選手と競い合うことにより、かつてヒトラーも語った「この競技は白人男子のもの」というイメージを変えたこと。
そう、正確に言うと、髙橋大輔選手がしてきたことではなく、彼を含むアジア系男子がそれぞれ最前線で戦ったことにより、この競技は様相を変えたのである。

これを見てほしい。

フィギュアスケート男子シングル、リレハンメル五輪から平昌五輪までの1位から8位までの選手の国籍と名前を表にしたものである。
その上で、欧米圏の国は水色、アジア圏の国は黄色の色を付けた。
見て分かる通り、トリノ五輪まではアジア圏の国の選手は入賞者一人である。
男子シングルは白人男性の競技で突出した選手のみ間に割って入ってくる、かつてはそういうイメージだったのだ。

本田武史選手の4位という成績は素晴らしいものだが、彼はおそらく「アジア系で例外的に突出した存在」と思われていたんじゃないだろうか。

それを変えたのがバンクーバー五輪である。アジア圏の国の入賞者が三人(全員日本)。
アジア系がこの競技でやっていける十分なポテンシャルがあることを、バンクーバー五輪の三人は示したのだ。

そう。織田信成選手・小塚崇彦選手の存在は、この競技の様相を変えるうえで非常に意味があった。
とはいえ、アジア系がやっていけることを示したのは、この三人だけではない。
もう一つ表を出す。

こちらは、欧米圏の国のアジア系選手をチェックし、アジア系選手の場合は緑色にしたものである。
バンクーバー五輪5位入賞のパトリック・チャン選手は中国系である。つまりこのとき、8位までの選手の半数がアジア系だったのである。
この競技は様相を変えようとしていたのだ。

その後の四年間、世界選手権の1・2位は常にアジア系だった。そしてソチ以降、五輪もまた完全にアジア系の方が優位である。
Daisuke達が、競技の風景を完全に変えたのである。

競技の様相を変えるのは一人ではできない。だから、変わったのは一人の選手のおかげということはあり得ない。アジア系の選手たちそれぞれが頑張ったことが競技におけるイメージを変えたのだ。
ただ、長い間、その一角に居続け、先頭で最前線で戦い続けてきたこと。その結果、彼らという選手群像に名前を付けるなら、「Daisukeたち」というにふさわしいだけの存在であったこと。それが、髙橋大輔選手がしてきたことなんだと思う。



ちなみに髙橋大輔選手がしてきたことを過小評価したい向き、その多くは羽生ファンや彼の贔屓である。

それはむろん後から出てきて鮮やかな成績を収めた羽生選手贔屓からすると目ざわりだという気持ちも大きいだろうし、そんな存在なくても勝てたわよという感覚もあるとは思う。しかしそれだけじゃないように私には思える。
おそらく、ルッキズムもあるんじゃないかな。
「アジア系より白人の方が体形いいから見て楽しかった。アジア系の活躍なんてほどほどでいい。あ、スタイルいいうちの推しは別だけど~。」ってことね。