光星学院中軸、桐光学園・松井を攻略 高校野球準々決勝
光星学院―桐光学園 8回表光星学院2死一、三塁、田村は先制の左前適時打を放つ。投手松井、捕手宇川=諫山卓弥撮影
(20日、光星学院3―0桐光学園)
光星学院の勝負強い中軸が、桐光学園の左腕松井を攻略した。8回、安打や四球などで2死一、三塁とし、3番・田村が内角直球を左前へはじき返して1点を先制。続く北條は変化球を強振、左中間二塁打で2点を加えた。球数が100球を超え、球威の落ちていた松井をとらえた。光星学院の金沢は不安定な序盤を乗り切ると、4回に3者連続三振を奪うなど、被安打3の完封。桐光学園は2、5、9回に先頭打者が出塁、得点圏に走者を進めたが、あと一本が出ず。松井を援護できなかった。
○仲井監督(光) 「松井君は簡単には打てない、すばらしい投手だった。なぜ打てたのかわからないが、選手たちの執念が少しだけ勝ったのかな」
●野呂監督(桐) 「松井はいつも通り投げてくれたけど、相手にうまく打たれた。甲子園で4試合もできたことを財産にしないといけない」
桐光学園・松井、歴代3位の計68K 記念ボール展示
大会新となる1試合22奪三振を記録した桐光学園・松井裕樹投手の記念ボール=兵庫県西宮市の甲子園歴史館
1試合22奪三振の大会新記録をつくった桐光学園(神奈川)の松井裕樹君(2年)が20日、準々決勝の光星学院(青森)戦に登板した。阪神甲子園球場内の甲子園歴史館に早くも記念ボールが展示された松井君。この日も15三振を奪ったが、3失点で敗れた。3回戦までの3試合で53奪三振の松井君。この日も初回に3連続三振を奪うなど、出場した10人全員から毎回の三振をとった。1大会を通じての奪三振は68で、歴代3位になった。9日の今治西(愛媛)戦では22奪三振を記録した。試合後、審判団からボールを受け取った球場担当者が松井君に「22奪三振 H24・8・9 桐光学園 松井裕樹」のサインをもらい、10日に展示を始めた。「早くみなさんに見せたかった」と担当者。大会中からの展示は初めてという。
大阪桐蔭12安打、天理の継投実らず 高校野球準々決勝
大阪桐蔭―天理 3回裏天理無死、山本は右前にチーム初安打を放つ。投手藤浪、捕手森=諫山卓弥撮影
(20日、大阪桐蔭8―1天理)
大阪桐蔭は打線が振れている。12安打で天理の継投策を打ち崩した。1回、森が先頭打者本塁打で先制。3、5回は四死球を絡めて好機をつくると、併殺崩れの間に加点し、天理の右腕山本を降板させた。6回は救援の中谷を攻め、藤浪の左越えソロと水本の中越え適時二塁打で2点。7回には4長短打で3点を奪い、突き放した。天理は敵失もあって2、3回と無死一、二塁の好機を作ったが、走塁ミスも出て生かせず。尻上がりに調子を上げた大阪桐蔭・藤浪に抑え込まれ、9回の1点にとどまった。
第94回全国高校野球:「負けず嫌い」号泣 桐光学園・松井投手、15奪三振でも敗退
光星学院に敗れた松井投手(中央)(20日、兵庫県西宮市の甲子園球場で)=若杉和希撮影
1試合最多奪三振記録を塗り替えるなど、第94回夏の甲子園で脚光を浴びた桐光学園(神奈川)の松井裕樹投手(2年)。大会第12日の20日、準々決勝の光星学院(青森)戦で登板、0-3で敗退したが、この日も15個の三振を奪った。4試合で計68奪三振。強気な投球でスタンドの内外を沸かせた16歳の左腕。その素顔をのぞいた。【一條優太】
■絶えない笑い
チームメートと冗談を言い合い、周囲に笑いが絶えない。18日、兵庫県西宮市での練習後、松井投手が田中頼人主将(3年)に「ひげ、伸ばしすぎ」とからかった。先輩に、くだけた態度だが、田中主将は「甘えてくることもあり、かわいい後輩」。中学時代から一緒の鈴木航介選手(2年)は、松井投手の性格を「悪く言えばちゃらんぽらん」。半面、仲間思いの一面も。毎朝7時半からの鈴木選手の練習に昨夏から付き合い、キャッチボールの相手や打撃練習のサポートを務めている。
■気迫むき出し
マウンドでは普段の表情が一変し、気迫をむき出しにする。先輩にきつい口調で注意することもある。「自分が一番だと思って投げる」「ピンチでは三振を狙う」と、発言も強気。宇川一光捕手(3年)は「生意気だが、投手はそれぐらいでないと」と評価する。仲間は「負けず嫌い」と口をそろえる。中学3年の時の全国大会決勝で、松井投手は完封して優勝したのに、最優秀選手に選ばれず、悔しがった。一方で、強豪校の情報を詳細に分析するなど冷静な一面もある。
■鶏そぼろごはん
小学2年の時、祖父の勧めで野球を始めた。「野球をする前は、おとなしく、女の子と遊ぶ方が多いぐらいだった」。母真琴さん(40)は明かす。好物は、ギョーザと鶏そぼろごはんだという。小学生の時の所属チーム、元石川サンダーボルト(横浜市)の佐々昇代表(73)は「とにかく野球好き。黙々と人の倍の距離を走っていた」と振り返る。七夕の短冊には「プロ野球選手になりたい」と書いたという。中学時代の青葉緑東シニア(同)では、2年の秋まで控え投手。3年の夏に主戦格に成長した。同チームの中丸敬治監督(60)は「向上心があり、投球の細かなことまで質問していた。まだ可能性を秘めており、今回の活躍で満足してはいけない」と、一層の飛躍を期待した。
20日、敗戦が決まると、松井投手はグラウンドで号泣。試合後、「腕が重く、疲れていたので、気持ちで投げた。甲子園に来て野球を楽しむことができた。もっと強いチームを作って、甲子園で優勝したい」と話した。



