陸上【世界の顔】
(1)スーパースターに暗雲 陸上・ボルト「伝説になる」と息巻いていたが…
2012.7.11 07:51
$とっちゃんのブログ
ジャマイカ選手権100メートルに挑むボルト=キングストン(ロイター)
26競技、302種目で熱戦が繰り広げられるロンドン五輪。大会を彩る「世界の顔」を紹介する。主役を担うべきスーパースターの行く手に暗雲が立ちこめている。1日まで開かれたジャマイカ選手権で、同じクラブの練習パートナーであるヨハン・ブレークに短距離2種目とも敗戦。世界最速の男にとって100メートルでは2年ぶり、200メートルは5年ぶりに喫する敗北だった。北京五輪で両種目の世界王者に駆け上がって以降、レースの焦点は勝敗ではなく、「ボルトは世界記録を更新できるか」の一点だった。北京で9秒69をたたき出した100メートルは、翌年のベルリン世界選手権で9秒58に短縮。200メートルも19秒19まで縮め、夢の18秒台をも視界にとらえた。昨年の大邱(韓国)世界選手権100メートル決勝はフライングにより失格したが、あくまでアクシデント。今季も2戦連続で9秒7台をマークしており「ロンドンではみんなをアッと言わせたい。タイトルを守って伝説になる」と息巻いていた。 しかし、ジャマイカ選手権で見せた走りは本来の姿にはほど遠かった。100メートルは課題とするスタートで再三出遅れ、200メートルでは中盤を過ぎてフォームがばらばらに。本人は「やるべきことがよく分かった。五輪までに修正したい」と語り、ミルズ・コーチも「今はかみ合っていないが、五輪が近づいてくれば調子は上がってくるだろ」と楽観視するのだが…。今年はジャマイカ独立50周年に当たるとあって、3度目の五輪には並々ならぬ思いを抱く。「俺にとっては(みんなへの)贈り物だと思う。勝って世界記録を更新して、みんなが喜び合うために何かができたらいい」。400メートルリレーを含めて2大会連続の短距離3冠を目指す“カリブの怪物”。発言を現実のものにできれば、母国は再び歓喜に包まれる。(細井伸彦)
【プロフィル】ウサイン・ボルト
 1986年8月21日、ジャマイカ・トレローニー生まれ。196センチ、94キロ。


柔道【世界の顔】
(2)「ドイエの再来」“上から目線”で金狙う 柔道 テディ・リネール
2012.7.11 17:51
$とっちゃんのブログ
世界選手権男子100キロ超級で4連覇中のリネール(上)。最強の柔道家としてロンドンでの金メダルを狙う(共同)
 遠国の芝生が青くまぶしく映る。とりわけ、人材が底を払った観のある日本柔道の男子最重量級を見比べると。世界選手権100キロ超級を4連覇中。泰平期を画そうとするテディ・リネールは、銅メダルに甘んじた4年前から、ロンドンを本丸と狙い定めてきた。「欲しいのは(五輪の)金だけ。4年間、ずっと準備してきた」。海外メディアの取材に吐露したのは、コレクションの空白を埋めるであろう最後の1枚への焦げつく思い。203センチ、130キロの威容を思えば「金だけ」と“上から目線”になるのは仕方ない。豪快無類の大外刈りと内または、各国の壮漢を黙らせてきた十八番のフィニッシュブロー。たくましい右腕に奥襟を許したら、力技の軍門に下るしかない。加えて天狗を思わす進退自在のステップも。こちらは少年時になじんだバスケットボールやサッカーがくれた“果実”。重いだけでなく軽さもあるから、いよいよ穴を捜すのが難しい。異数の出世に胸を反らせる23歳を、母国フランスの人々は「ダビド・ドイエの再来」と持ち上げる。2000年シドニー五輪の覇者にして今やスポーツ相にまで栄達したドイエが「英雄」なら、その系譜を継ぐ若者も「テディ・ベア」と劣らぬ大人気。12年前、ドイエは「世紀の誤審」を奇貨として成り上がり、その“悪名”を日本人の記憶に留めた。盛夏のロンドンでリネールは…。日本からは上川大樹(京葉ガス)がストッパーとして名乗りを上げる。こちらは「坊ちゃん1号」の異名をお仕着せられた未完の大器。本家の面目を施すのか、芝の青さを際立たせてしまうのか。(森田景史)
 ■テディ・リネール 1989年4月7日、カリブ海のフランス海外県グアドループ生まれ。2007年に18歳で世界選手権100キロ超級を制し、以後、11年まで4連覇。北京五輪は銅メダル。


水泳【世界の顔】
(3)重い鎖、タイヤ投げ…強靱な肉体 競泳 ライアン・ロクテ
2012.7.13 08:10
$とっちゃんのブログ
米国代表選考会で歓声に応えるロクテ=6月、オマハ(ロイター)
 昨夏の世界選手権で、世界新のコールとともに競泳界の「主役交代」を印象付けた。北京五輪8冠のマイケル・フェルプスに次ぐ2番手に甘んじてきたライアン・ロクテが、200メートル個人メドレーでフェルプスを破り、自身が2009年にマークした世界記録も0秒10短縮して高速水着時代の壁を初めて破る歴史的快挙を遂げた。1学年下の友人フェルプスとともに、複数種目で世界トップの実力を誇るオールラウンドスイマー。得意は200メートル背泳ぎだが、直接対決の200メートル個人メドレーでは、2004年アテネ五輪で銀、前回の北京五輪は銅。まさに“怪物”の陰に隠れた存在だった。しかし、ロンドン五輪へ向けて1日2万メートル泳ぎ込んだロクテと、目標を見失い練習量を落としたフェルプスでは主役交代は当然だったのかもしれない。ロクテは、フェルプスから世界一のスタートとターン技術も習得し、陸上トレーニングでは、重い鎖を引いたり、タイヤを空に向かって投げ上げたりと、その名も「ストロングマントレーニング」で強靭(きょうじん)な肉体を作り上げた。主役の座に躍り出たその世界選手権ではフェルプスが北京で制した個人5種目のうち200メートル自由形、200メートル、400メートル個人メドレーの3タイトルを奪い、国際水連の2011年世界最優秀選手にも選ばれた。それでも「彼も五輪が近づけば調子を上げてくるだろう」と警戒していたが、その通りに6月末の米国代表選考会では、4種目のうち3種目で敗れた。「最強スイマー」の称号をかけ、どちらがより多くの種目を制するか。ロンドンを最後に引退を明言しているフェルプスの底力は計り知れない。ロクテは「誰もが不可能だと思うことを成し遂げたい」という信念を胸に、舞台に立つ。(青山綾里)