〈観戦記〉前を向いて全力前進 日本ハムアドバイザー・藤井純一さん
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藤井純一近大教授=諫山卓弥撮影
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藤井純一さんの色紙
 「代打ホームラン」を打ったことがあります。昨年10月のプロ野球ドラフト会議。監督に代わって抽選に臨み、4球団が競合した斎藤(早稲田実―早大)の指名権を引き当てました。やったでえと、右腕を突き上げた。2007年は、中田(大阪桐蔭)。運が良かっただけですが、右手は「神の手」と呼ばれています。
 斎藤も中田も、高校野球が原点にある。甲子園でヒーローになった。その甲子園で高校野球を見るのは、よく1人でアルプス席に行った小学生の時以来やね。ドームもきれいだけど、甲子園はオープン。空気が生きている。日本ハムの選手も、札幌円山球場でやると「気持ちいいから、またやろう」と言います。
 1回、専大玉名の園道君が一塁へヘッドスライディング。二盗、三盗と決めた。全力で真っ正面からぶつかっている。一度負けたら終わりだから、力を全部出す。野球を純粋に楽しんでいる。攻守の交代も全力疾走。だから、試合の進みも早い。日本ハムでも、稲葉は全力で走る。新庄もそうでした。だらだらやるのは、いくらうまくても、きれいじゃない。一生懸命だから、きれいなんです。
 5回、専大玉名の平原君の犠飛で1点入った。まだ、あきらめてへん。応援も元気になってきた。6回、光星学院に13点目が入った。プロなら負けているチームのファンは「何やってんねん」と帰るかもしれないけど、甲子園はならない。最後まで全力だから。
 もし高校野球のチームを率いたら? 日本ハムは、09年に優勝した翌年4位に落ちた。好成績の後は、チームにスキや勘違いが起きてしまう。いかにチームを引き締めるか。そのためには、日本一になるというビジョンに、何のために野球をするか、という理念が必要でした。監督も選手もマネジャーも、みんなの役割を明確にして、一つの目標に向かうことが大切だと思います。
 9回、1―16。専大玉名の代打・丸山君が二塁打を放った。まだ終わりじゃない。勝ち負けがすべてのプロとは違う。勝っても負けても、みんなが拍手を送る。これが高校野球やね。
 日本ハムはプロ野球のなかった北海道に移り、地域密着を打ち出しました。野球で地域が一つになって、コミュニティーが生まれる。地元の人たちが応援してくれます。球児も、夢を持ってやってほしい。それが、みんなの力になる。
 震災の起きた今年は特別な年です。日本ハムも、震災直後のオープン戦をチャリティー試合にして、両球団の選手が球場で義援金を集めた。プロも高校野球も、野球の力を見直せたと思う。甲子園に来て改めて、感じました。(構成・木村健一)
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 ふじい・じゅんいち 兵庫県宝塚市出身。近大卒業後の1973年に日本ハム入社、営業や宣伝を担当。2000年からJリーグ・セレッソ大阪の社長を務め、06年にプロ野球・日本ハムの社長に就任し、同年日本一に輝く。今年4月から、日本ハムファイターズアドバイザー。62歳。


〈観戦記〉夢はここから 元プロ野球選手・仁志敏久さん
2011年8月13日9時31分
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仁志敏久さん=諫山卓弥撮影
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仁志敏久さんの色紙
 こんなに気楽に甲子園に来るのは初めてだな。プロの時は、いつも自分で勝手に重圧をかけて、切迫した感じで入っていたから。
 全国選手権には常総学院(茨城)で3年連続出場したけれど、一番緊張したのは、2年の時の開幕戦。浩宮様(現皇太子)の始球式で打席に立ったこと。普段は打つ練習しかしてないから、本能で打ってしまったらどうしようと思っていた。そのせいかどうか、試合は5打数無安打だった。
 面白いよね、高校野球は。計算できないところが。何点差をつけられても、あきらめない。完全な勝ちゲームがコロッと変わってしまう可能性もある。
 第1試合もそう。ポイントは9回かな。東京都市大塩尻の1死満塁。松原君が3ボールの後、2ストライクを待ったのが、惜しかった。結果は内野ゴロ。ガツガツいっちゃえばいいのに。1本出れば、勝敗は変わっていたかもしれない。
 僕の野球の基本は、今夏勇退した木内幸男監督に教わった。1年の時、打席でまず1球見たら、監督に「お前は1年生なのに生意気。どんどん打っていけ」と言われた。それから、少々ボール球でも「打てばいいんだろ」と変わった。「振り回すのをやめろ」と言われていたらダメになっていたと思う。強い打球を打とうとガンガン振った。引退するまで、そんな打者だった。
 ベンチで解説している木内監督の近くに、いつも座っていた。技術的にはうるさく言わないけど、すべてのプレーに理由があった。その質の高さはプロに入ってからも感じた。30歳代半ばを過ぎてから、やっと理解できたくらい。
 両校を見て、選手の技術は上がっていると思う。投手も普通に140キロを超える球を投げる。ただ、気になるのは打撃。明豊も東京都市大塩尻もスイングの仕方が似通っている。打者は長所と短所が裏表。短所を削れば、長所もなくなる。指導法が確立したことで、小学校から全員が同じように教えられ、個性がなくなっているのではないか。
 大人になって感じるのは、甲子園は人生を変えるということ。出場していなければ、プロになれなかったと思う。僕は身長もないし、体も細かった。何も飛び抜けたものはなかった。先輩についていくだけだった1年の時に運良く準優勝。名前が売れて、結果を出すことが当たり前になった。戸惑いもあったけど、周りの求める結果に応えようと、努力したり、考えたりしてきた。
 甲子園は出発点。今、出場している選手は大きなチャンスを与えられている。どう生かすかは彼ら次第。いい方向に進んでほしい。僕の人生は高校野球から始まった。(構成・吉田純哉)
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 にし・としひさ 茨城県出身。常総学院高(茨城)時代に3年連続で夏の甲子園に出場し、1年時に準優勝。早大―日本生命から、1995年にドラフト2位で巨人に指名され、96年に新人王を獲得。横浜、米独立リーグを経て、昨年6月に引退。近著に「わが心の木内野球」。39歳。