「がんばろう!日本」ヘルメットにシール 高知大会
2011年7月19日9時36分
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「がんばろう!日本」のシールを張ったヘルメットで打席に立つ選手=高知市営
 第93回全国高校野球選手権の各地方大会では、出場校のヘルメットに「がんばろう!日本」のシールが貼られている。東日本大震災の被災地を元気づけようと、朝日新聞社と日本高野連が企画した。
 高知大会では、入場者に「がんばろう!日本」と書いたうちわも配り、県立春野球場には横断幕も。審判員やマネジャーらは服にワッペンも付けている。17日に大会1号本塁打を放った追手前の筒井香丞(きょうすけ)君(3年)は「僕らは野球に専念できるけど、被災地の方々は本当に大変。元気を与えられるようなプレーをすることは義務だと思う」と話した。(中島嘉克)


巨大メガホン、今年も登場 若狭の応援名物 福井大会
2011年7月19日11時24分
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若狭の応援団の名物、巨大メガホンで声援を送る前島君=敦賀総合、笹川翔平撮影
 (18日、若狭7―5科学技術) 若狭の応援の名物、手作りの巨大メガホンが今年も球場にお目見えした。一塁側スタンドの一角で、約2メートルもある黄色のメガホンは集まった観客の注目を集めていた。ベンチ入りできなかった3年生3人が大会前、1週間ほどかけて作った。針金に和紙を貼り付けてから模造紙を巻き、黄色のスプレーを塗って仕上げたという。部員全員に加え、監督やコーチら指導者の名前が墨で書き込まれている。メガホンの内側に、大きく「全国制覇」の4文字がある。目標に向け、若狭は幸先よく初戦を飾った。メガホンを使って声をからした前島勝太君(3年)は、「日本一の仲間と日本一長い夏にします」と笑顔をみせた。(笹川翔平)


22歳の女性審判、夏初舞台「夢は甲子園」 青森
2011年7月19日0時33分
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今年デビューした女性審判員の葛西さん=青森市営
 青森県高校野球連盟で唯一の女性審判が今年デビューした。葛西美香さん(22)だ。
 父親は元高校球児で、小さい頃からよく一緒に野球を見ていた。夏の大会は、一度負けたらそこで終わりだ。緊迫感の中で全力プレーをする選手の姿に胸打たれた。選手をサポートしたいと考えるようになった。青森西高校時代は、チアリーディング部を立ち上げてスタンドを盛り上げた。青森大学時代は準硬式野球部でマネジャーをつとめた。「大学を卒業してもずっと野球に携わっていきたい」と思い、高校野球の審判をしている大学職員に打ち明けると、「審判をやってみたらどう。歓迎するよ」と誘われた。すぐに「はい」と返事をした。高校野球の審判員は、全員がボランティアだ。葛西さんもこの春から、就職活動のかたわら、春の地区大会や練習試合などで経験を積んできた。青森大会では、15日の青森市営球場が初舞台となった。八戸南―鶴田の二塁塁審だった。風もなく、グラウンドから上がる湿気でむんむんする。でも「選手たちと一緒に白球を追える幸せ」で胸はいっぱいだった。審判には瞬時の判断と機敏な動きが求められる。頭でわかっていても、うまく体が動かないときもある。そんなときは一、三塁のベテラン審判員のアドバイスに助けられた。夢は「審判として甲子園のグラウンドに立つこと」。道のりは長いが「まずは誤審をしないでスムーズに試合を運べる審判になれるよう努力し続けます」。(水戸部六美)


再会に涙・そして笑顔 福島、相双連合の舞台裏
2011年7月19日0時38分

 約4カ月ぶりの再会に涙し、ともに笑い、声を張り上げた。東日本大震災と原発事故の影響で部員が減った双葉翔陽、富岡、相馬農の3校で編成した「相双連合」。第93回全国高校野球選手権福島大会の1回戦で喜多方と対戦した14日の鶴沼球場は、グラウンドに負けないぐらい、スタンドにも濃密な時間が流れていた。舞台裏も感動的だった「相双連合の夏」を再び――。
■元マネジャー2人「試合があったから会えた」
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震災直後、東京の高校に転校した中田麻里奈さん(左)と新潟の高校に転校した石原悠衣さん
 双葉翔陽で女子マネジャーだった3人の2年生も4カ月ぶりに再会した。一緒に汗を流した仲間の顔を見つけると、泣きながら抱き合った。震災直後、新潟の高校に転校した石原悠衣さんは「2人の元気な顔を見て、ホッとした」。転校先の東京から高速バスで駆けつけた中田麻里奈さんは「会えたのは、試合があったから。選手にありがとうって言いたい」。松本杏奈さんは福島県内の高校・大沼で再びマネジャーに。この試合のアナウンスを務めた。双葉翔陽のユニホームに着替えて声援を送った石原さんと中田さんは、応援席に一礼する選手たちに向かって声を張りあげた。「みんな、かっこよかったよ」
■双葉翔陽の170人、スタンドで再会
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喜多方にコールド負けし、試合終了後相手チームの校歌を聞く相双連合の選手たち。ユニホーム姿左から2人目が遠藤剛司主将、3人目が本塁打を放った中村公平=鶴沼
 その日、三塁側は大応援団でごった返していた。中心は全校応援をした双葉翔陽。平商と坂下に約70人ずつ、安達東と小野にも分かれた生徒約170人が、震災後初めて一堂に会した。「お弁当を一緒に食べる仲良し六人組だった」という3年生の山之内優未さんら4人は並んで声援を送った。「2人は転校しちゃった」と話す水谷麻美さんと2人は坂下のサテライト校に通う。涙ながらに抱き合って再会を喜んだ根本礼奈さんと加藤義江さんはそれぞれ平商と小野にいる。「野球部が週1度集まって頑張っている姿が生徒の励みになっている。いい機会。みんなで応援することにした」と小野寺典子校長(59)。ブラスバンド部員12人もそろって演奏するのは震災後初めてだった。富岡は光南に通う24人が駆けつけた。同じ光南で学ぶ中村公平(3年)が7回に本塁打を放つと、大騒ぎに。誉田秀隆校長(57)は「バラバラになった相双の子が遠い会津地方にこれだけ集結した。チームをまとめて下さった方々に感謝です。涙が出ちゃいます」。3校17選手の保護者ら約50人は「心一つに。相双連合」と書かれた横断幕を用意し、そろいのTシャツに身を包んだ。
■東京へ転校した元主将「俺の分戦ってくれた」
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遠藤真弘さん
 この日は、震災前に双葉翔陽の主将だった遠藤真弘さんも応援に駆けつけた。震災後、東京都内へ転校したが、野球部はなく、ソフトボール部に入った。「ニュースで相双連合を見ると、ますますやりたくなって、悔しかった」遠藤主将と連絡をとり、チームの様子を逐一聞いた。試合前日も会場近くの旅館に泊まったメンバーに「楽しんで」と電話した。選手と同じ「相双」の帽子をかぶり、試合開始時にはスタンドぎりぎりで声出しをしたチームと一緒に大声を出した。「俺の分まで戦ってくれた気がした」(福宮智代、安藤嘉浩、山口裕起)
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