卓球日本代表、「WASURENAI 3.11」胸にいざロッテルダム!
(ORICON STYLE - 04月22日 20:04)
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『世界卓球』への意気込みを語った福原愛、石川佳純選手ら卓球日本代表メンバー 
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 5月8日よりオランダで開催される『2011年世界卓球選手権ロッテルダム大会(個人戦)』の記者会見が22日、都内で行われ、日本代表の福原愛選手ら12名が出席。今大会で選手らが着用するジャージやユニフォームには、東日本大震災の被災地、被災者への思いを込めて胸の部分に「WASURENAI 3.11」のロゴがつけられた。福原選手は「自分に何ができるかという気持ちを忘れず、一日でも早い復興を目指して私たちも頑張りたい」と意気込んだ。
 選手らはこの日発表された「勝利へ導く炎と光」がコンセプトの公式競技ウエアを着て登場。福原選手は「被災地の皆さんに少しでも元気や勇気を与えられるような気持ちの込もったプレーをしたいと思います」と決意を述べ、「これから長い道のりになると思うし、3月11日のことを忘れないことが、これからの支援に繫がっていくと思います」と胸に掲げたロゴへの思いを語った。
 テレビ東京で9日より放送される『世界卓球2011ロッテルダム』の番組出演者から、メインキャスターを務める福澤朗アナウンサー、サポーターを務めるAKB48の松井咲子、増田有華、梅田彩佳、仲川遥香も出席。男子選手が試合前にAKB48の楽曲を聴いて士気を高めていると知ると大喜びし、中学3年間卓球部に所属していたという梅田は「自分自身と闘っているかのような選手の目力、精神力にはそれだけでオーラで負けそうになる」と卓球の魅力を語った。
 松井は「同年代の方が頑張ってる姿に刺激を受けた。微力ながら全力で応援したい」、増田は「選手の練習を見て、真剣な眼差しなど目を通して志を感じた」と選手の鬼気迫る迫力をレポート。中川からオランダで食べたいものを質問された石川佳純選手は「オランダの食べ物はあまり知らないんですけど、炊飯器を持っていってお米を炊いてパワーをつけたい」とはにかんでいた。


[2011年04月21日(木)]
【名波浩の視点】グランパスの連覇を阻止するチームはどこだ!?
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一層の飛躍が期待されるガンバの宇佐美貴史。そのためにも今季は、数字的な結果を残さなければいけない。photo by Sano Miki
 打倒・名古屋グランパスの一番手となるのは、やはり鹿島アントラーズ。マルキーニョスに代わる得点源として獲得したカルロンは今ひとつフィットしていない感はあるものの、充実した戦力がそろっていて、総合力ではJ屈指と言えるだろう。
 万一、カルロンが結果を出せなかったとしても、興梠慎三と大迫勇也という立派なFWがいて、彼らが必ずいい仕事をしてくれるはず。加えて、2列目には野沢拓也をはじめ、本山雅志や増田誓志、遠藤康にフェリペ・ガブリエルら、点の取れる能力が高い選手がズラリ。フィニッシャーとして計算できる面々が多いだけに、興梠と大迫のふたりでシーズン合計20点から25点取ってくれれば、タイトル争いできる勝ち星は十分に積み上げられると思う。
 グランパスと対戦したゼロックス杯や、その後のACLでの戦いぶりを見ても、“しぶとさ”ではグランパスより一枚上。戦い方にメリハリがあって、あれほどの“大人のサッカー”ができるチームは、他には見当たらない。
 その中心となるのは、小笠原満男をはじめ、黄金世代の面々。彼らもまだまだ老け込む年齢ではないし、アントラーズが強さを発揮できるのも、彼らがチームを引っ張っていってこそ。
 そういう意味では、ガンバ大阪も同じ。黄金世代の遠藤保仁が1シーズン通してフル稼働できれば、優勝のチャンスは広がると思う。
 なにしろ、前線にはセレッソ大阪から移籍してきたアドリアーノに、イ・グノ、宇佐美貴史、平井将生ら決定力のある選手がそろう。彼らの能力を最大限に引き出せるかどうかは、遠藤の活躍次第と言っても過言ではないからだ。
 そのためにも、戦列を離れている橋本英郎が復帰して、明神智和とともに、遠藤をサポートする態勢が築けることが重要になる。そのうえで、年間を通して働けるだけのフィジカルコンディションが整っていれば、優勝争いの一角に加わってくるに違いない。
 あと、個人的には宇佐美に注目している。昨季の実績があるとはいえ、今季はさらに飛躍することを願う。それには、結果を出さなければいけないだろう。彼自身、具体的な数字を公言していたりするけど、それをまっとうしてもらいたい。西野朗監督が求めているのも、そこだと思う。できれば15点くらい取って、日本代表にもより近い存在になってほしい。
 ダークホースとして期待しているのは、大宮アルディージャ。面白いサッカーをやっているし、今季はある程度上位に食い込んでくるのではないだろうか。
 可能性を感じる要因は、上田康太が加入して狙いを持った配球が生まれたこと。これまでは配球係がいなくて、どうしても行き当たりばったりの展開が多く、最終的にはラファエルやイ・チョンスの個人能力に頼るのみだった。それが、上田が入ったことで、つなぎがスムーズになり、効果的な配球から相手の穴をつけるようになった。開幕戦のアントラーズ戦でも、それは顕著に表れていたと思う。
 ただ、懸念されるのは、選手層の薄さ。他の強豪クラブに比べて、レギュラーとサブとの実力差が大きいように感じる。一昨年のサンフレッチェ広島のように、ずっと同じメンバーで戦えればいい成績を残せるだろうが、長いシーズンにおいては、戦力がそろわないときが必ず来る。そこで勝ち点を拾えるかどうか……。本当のチーム力が問われるのは、そのときだろう。


被災地からの出場者、参加料免除…大阪マラソン
(読売新聞 - 04月22日 18:18)

 「第1回大阪マラソン」(10月30日・読売新聞社共催)の組織委員会は22日、東日本大震災の被災地などから出場するランナーの参加料(1万500円)を免除すると発表した。
 免除されるのは、青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、千葉、長野、新潟の9県のうち、災害救助法で指定されている市町村から出場する個人ランナー。抽選結果は25日から電子メールや郵送で通知されるが、被災地の当選者には、避難所で名前の呼びかけも行われている配達証明郵便を利用するなど、可能な限りの通知に努める。
 また、「復興に向け、ひとつになろう」をテーマに、新たなチャリティーを実施することを決めた。大阪マラソンは、森林保護など7つのテーマを定め、3万人の参加者全員が希望のテーマに1人500円を寄付することにしていたが、別口として震災復興支援を加える。寄付の方法については、今後決める。


体協・JOC100年 競技団体からの報告
2011年4月17日(日)08:00(産経新聞)
【未来への助走】第1部 (4)
 ■実業団システムに甘え

 1912年5月16日、新橋発敦賀行き列車に、青年2人が乗り込んだ。陸上短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三。日本選手として初めて五輪史に名を刻む2人の1912年ストックホルム五輪に向けた旅立ち。金栗20歳の初夏だった。
 日本初参加のひのき舞台。だが、ここで金栗は期待を裏切ることになる。マラソン当日の7月14日は、30度を超える暑さに見舞われ、熱中症に陥っての途中棄権。選手団の嘉納治五郎団長に「日本スポーツ界の黎明(れいめい)の鐘となれ」との激励を受けながらの挫折だった。
 続く20年アントワープ五輪、24年パリ五輪にも出場を果たすが、16位に入ったアントワープ五輪を除いて途中棄権。この不本意な成績が、その後の金栗の人生を決めることにもつながった。
 五輪での“屈辱”をバネにマラソンの普及、選手の育成に尽力。ペース配分や歩幅と所要時間の関係などの経験、高地トレーニングの試みなどを後進に伝えていく。箱根駅伝の実現に奔走したのも「世界に通用するランナーを育成したい」という自らの体験に根ざした思いからだった。
 ◆海外選手から垂涎
 その後の箱根駅伝に代表される駅伝やロードレースの隆盛は、世界的にも特異な日本の“選手育成システム”を育み、支えてきた。箱根駅伝が国民的な関心を集める中、長距離選手に対する実業団の需要は高い。選手を雇用しながら練習環境を提供し、指導を行っていく枠組みは、レースの賞金などを糧に生計を立てる海外の選手たちから見れば、「垂涎(すいぜん)の的」だ。
 長距離王国といわれるケニアだが、五輪男子マラソンに限ると、メダリストは3人。ワキウリ(88年ソウル銀)、ワイナイナ(96年アトランタ銅、2000年シドニー銀)と2時間6分32秒という五輪新記録で北京を制したワンジルで、彼らはみな日本でマラソンのイロハを学んだ。
 一方で、練習ノウハウを提供してきた日本は、北京五輪で男女とも入賞者なしに終わり、記録の停滞も続く。1万メートルでは70年代後半から80年代にかけて長距離界を牽引(けんいん)した瀬古利彦、中山竹通らの時代からほとんど伸びておらず、日本記録は01年に高岡寿成がマークした27分35秒09。マラソンの日本記録も02年にやはり高岡が樹立した2時間6分16秒のままだ。
 「実業団システムは、確かに素晴らしい。でもいつしか甘えてしまった。待遇を優先する選手が増え、きついマラソン練習は敬遠しがち…。これではハングリーな選手にかなわない」。実業団の元監督の述懐だ。
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 ◆“落ちこぼれ”快挙
 「既存の(実業団)チームの方々には大きなショックがあったと思う」。日本陸連の沢木啓祐前専務理事がこう指摘したのは2月、世界選手権代表選考会を兼ねた東京マラソンでのことだった。フルタイムで働く市民ランナーの川内優輝が日本人トップの3位に食い込み、代表の座を射止めた際の言葉だ。
 川内のタイムは2時間8分37秒。日本選手の2時間8分台は2008年3月のびわ湖毎日以来。走ることを生業とする実業団選手と異なり、川内自身が「日本のエリート育成システムからの落ちこぼれ」と話した通り、限られた時間をやりくりして成し得た快挙だった。
 「レースでは負けたくない。死んでもいいという思いで走りますから」という川内に対し、いまの実業団の若手を、日本陸連の坂口泰男子マラソン部長は「失敗したくないという思いがある。成功体験ばかり積み重ねていこうという思考が底流にある」とみる。あまりにも対照的な姿勢だ。
 坂口部長は「駅伝では失敗してはいけないという思いが先に立つが、失敗を恐れるとできるレベルに合わせてしまい、レベルは下がっていく。1万メートル29分台の川内が2時間8分台で走った。もっと速い選手なら、6分台も見えてくる。挑戦してほしい」。“落ちこぼれの快走”が殻を破る特効薬となるか-。マラソンの父とも言われる金栗のモットーは「体力、気力、努力」だった。